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大林宣彦監督が死去、82歳 肺がん余命宣告3カ月から3年8カ月…(サンケイスポーツ)


 「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」の尾道三部作などで知られる映画監督、大林宣彦さんが10日午後7時23分、肺がんのため死去した。82歳。2016年に末期の肺がんと診断されたが、最期まで映画製作に執念を燃やし、最新作「海辺の映画館-キネマの玉手箱」は当初、この日が公開予定だった。ファンタジー、ノスタルジー、叙情性にあふれた作品を多く手掛けた「映像の魔術師」は現役の映画人として天に召された。葬儀・告別式は家族葬で行い、「海辺の映画館-」公開後にお別れの会を開く。


 昭和、平成、令和と日本映画界を牽引してきた“ファンタジーの巨匠”が、ついに力尽きた。


 4年前に末期の肺がんで余命3カ月と告知された大林さんの訃報が11日未明に駆け巡った。


 配給会社のアスミック・エースが文書で発表。同日午後7時23分に肺がんのため東京・世田谷区の自宅で妻の恭子さん、長女、医師に看取られ、息を引き取ったという。葬儀・告別式は13日に近親者のみの家族葬で執り行い、後日お別れの会を開く。


 関係者によると、帝京大医学部附属病院に入院していた大林さんは、1カ月前に自宅療養に切り替えていた。最近は新型コロナウイルス感染拡大の影響で大学病院に行けず、自宅近くの病院の医師が週に数回訪問診察を行っていたという。ずっと寝たきりだったが、この日の夕方まで意識があり、家族とも会話。夜に診察を受けていた際、眠るように亡くなった。


 遺作は近日公開予定の映画「海辺の映画館-キネマの玉手箱」。当初はこの10日に封切り予定だったが、新型コロナウイルスの感染拡大を受け、延期になっていた。2月の尾道映画祭に同作の上映で参加予定だったが、コロナで叶わなかった。


 大林さんは2012年に前立腺がんを発病。克服したと思った矢先の16年8月に肺がん第4ステージが判明し、医師から余命3カ月と告知されながらも、手術は受けず抗がん剤で縮小した。昨年、脳に転移。脳のがんが放射線治療で消えた後の18年7月から9月まで故郷の広島・尾道市を中心に同作を撮影していた。体調は万全ではなく、昨年7月からは毎月入院。抗がん剤でもともとの肺がん治療を受けるかたわら、1年かけCG合成を含め編集作業を続け、まさに最期まで映画製作に執念を燃やした。最後の公の場は昨年11月24日の広島国際映画祭で、車いすで参加し、壮絶な覚悟を見せた。


 大林さんは、成城大学を中退後、CM制作で才能を発揮。男性化粧品メーカー、マンダム社のチャールズ・ブロンソンの「う~ん、マンダム」、ホンダ・ロードパルに起用したソフィア・ローレンの「ラッタッター」など約1000本を撮影し、“CM天皇”と呼ばれた。


 77年に商業映画に進出し、美少女ホラーファンタジー「HOUSE」を初監督して、ヒット。その後、82年「転校生」、83年「時をかける少女」、85年「さびしんぼう」の尾道三部作や91年「ふたり」、95年「あした」、99年「あの、夏の日」の新・尾道三部作など故郷の広島県尾道市を舞台とした個人映画的色彩の強い美しい情景描写の作品のほか、「異人たちとの夏」「なごり雪」などノスタルジックで叙情感豊かな作品を多数監督し、熱烈なファンを獲得。また、新人をヒロインに抜てきしてヒットさせるなど「アイドル映画」の先駆者としても手腕を発揮した。


 私生活では成城大入学後の19歳のときに1年後輩の恭子さんと出会った。大林監督が講堂でピアノを弾いている夫人の後ろ姿に一目惚れしたという。その後、恭子さんは女優、プロデューサーとして大林さんを支え、結婚した。


 本紙の取材に応じた際、名監督は「映画で歴史を変えることはできないが、未来の歴史を変えることはできるかもしれない。それが僕の持論。若い人たちにも観ていただきたい。平和の大切さを訴える映画を作るのが僕の使命」と柔和な笑顔で語っていた。


 おしどり夫婦として歩み、61年間の映画監督人生を全うした大林さん。天国でもフィルムを撮り続けるはずだ。


■大林 宣彦(おおばやし・のぶひこ)


 1938(昭和13)年1月9日生まれ。広島県尾道市出身。医者の家系に生まれ、父は軍医。幼少期から映画を作り始め、高校時代に8ミリ、成城大文芸学部在学中からは16ミリで数々の作品を発表。自主製作映画界で高く評価され、テレビCM制作などを経て、77年に「HOUSE ハウス」で劇場映画に進出し、ブルーリボン賞新人賞。2004年に紫綬褒章、09年に旭日小綬章。19年に令和初の文化功労者に選ばれた。夫人の恭子さんは映画プロデューサーで、長女の大林千茱萸(ちぐみ)さんは映画評論家として執筆活動をしている。

提供元:Yahooニュース
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