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志村けんさん「芸人運」にかき消された女性運と運命の相手(日刊ゲンダイDIGITAL)

「ザ・ドリフターズ」のメンバーでタレントの志村けんさんが新型コロナウイルスによる肺炎で亡くなった。享年70。
志村さんが倦怠感を覚え自宅静養に入ったのが3月17日。19日に発熱と呼吸困難の症状が出て肺炎と診断され、港区の病院に入院したのが20日。実はこの日は志村さんの師匠で16年前に亡くなったいかりや長介さん(享年72)の月命日でもあった。
これは偶然なのか。志村さんは約10年前に筆者とのインタビューの中で、いかりやさんとの出会いについて〈昔、芸能誌に住所が載っていて、それを頼りに自宅に押し掛け、そのままボーヤ(付き人)になったんです〉と、照れくさそうに答えてくれた。
普段の志村さんのイメージはバカ殿のイメージとは正反対。〈人見知りだから〉と言ってこちらの質問に伏し目がちで答えてくれたのを思い出す。言葉にも力が無くボソボソと答えるものだから、失礼にも何度も聞き直してしまった。
そんな志村さんの熱愛絡みの取材したのは今から25年ほど前のことだ。フジテレビがまだ新宿区河田町にあった頃の話だ。
タレントが利用する駐車場は局の1階の正面玄関前にあって、金網越しに彼らの動向が把握できた。
追っかけと一緒になってタレントの様子を見ていた。当時、筆者が志村さんの交際相手としてマークしていたのは石野真子(59)の妹のいしのようこ(52)。
二人は1987年11月にスタートしたバラエティー番組「志村けんのだいじょうぶだぁ」(フジテレビ系)で共演。あたかも夫婦漫才を見ているような空気感で、本当に息がぴったりだった。
人気コメディアンと18歳年下のアイドルとの絡みは本当に新鮮だった。
「だいじょうぶだぁ」は6年を超える長寿番組となるのだが、リニューアルした「志村けんはいかがでしょう」(93年10月~95年9月)でも、志村さんはレギュラーにいしのを指名。このあたりから芸能マスコミは二人の仕事を超えた関係を報じるようになっていた。
当時の自分の取材ノートを見ると、二人の関係が変化したきっかけについて番組スタッフが〈世間話をする中で、二人の誕生日が偶然一緒だったんです。これに志村さんがえらく感動してしまって……〉という下りがあった。
何気ない偶然が交際のきっかけになったりするものなのだ……特に芸能人は。
筆者が二人の関係を確信したのは、志村さんが生まれた東京・東村山市の実家周りを取材している時だった。
■母・和子さんは「早くけんの孫を見たい」
地元が生んだ人気者の私生活に関する取材に関係者の口は重かった。
ところが志村さんの学生時代の同級生の口から、母親の和子さん(15年11月23日死去、享年96)が本人に向かって〈早くけんの孫の顔を見てみたい〉と漏らしていることを嗅ぎ付けた。母親思いの志村さんがこの言葉に胸を痛めていることも分かった。
さらに取材すると、志村さんがいしのを実家に連れて行ったことがあることも判明した。これは近所の主婦の目撃談で、この証言を得た瞬間に自分の心が奮い立ったことを覚えている。
筆者が東村山で取材を進めている頃には芸能マスコミの間では、東京・三鷹市牟礼の志村さんの自宅で二人はすでに“半同棲”の状態にあると重ねて報じられた。結婚はまさに目と鼻の先にあったはずだった。
冒頭のインタビューで、〈どうして結婚しなかったのですか?〉と志村さんに聞くと、志村さんは視線を床に落としてしばらくの間考え込んだ後で〈芸人運にみんな持っていかれたのかな……〉と苦笑いを浮かべながらポツリと口を開いた。
〈つまり、女性運も?〉と確認すると、優しくそれに頷いて見せた志村さん。5年前に亡くなった和子さんは死ぬ間際まで志村さんの結婚問題を気にかけていたといわれている。
いしのは所属事務所を通して次のように発表した。
〈志村けんさん、突然の事で正直まだ受け止められずにいます。(中略)若かりし頃に教えていただいた数々の事、忘れません。心からご冥福を申し上げます〉
幾重もの思いが込められたいしののコメントに、天国から志村さんが「だいじょうぶだぁ!」と言葉を返したのが聞こえたような気がした。
(芸能ジャーナリスト・芋澤貞雄)
提供元:Yahooニュース