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ロス留学後、かつての勢いを取り戻せず78年にグループは解散【晃が語る「フィンガー5」とその時代】(日刊ゲンダイDIGITAL)

【晃が語る「フィンガー5」とその時代】#4

 小学生の頃から酷使してきた喉を中学2年の時、変声期が襲った。ハイトーンボイスがかすれて出ない。「口パク」案も出たが、僕らがデビュー以来、貫いていた「口パクは絶対にしない」という方針を崩すことはできない。

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 次に出てきた案が「変声期を遅らせるため女性ホルモンを打つ」というものだった。これは僕の意思が最優先される。悩む間もなくきっぱり断った。クスリで無理に抑えることに抵抗があったのだと思う。

 悪い時は悪いことが重なるものだ。僕だけでなくきょうだい全員の体も蓄積疲労でボロボロになっていた。それでもスケジュールは先々まで決まっている。グループ活動そのものを考え直す時期が来ていた。ある夜、行われた緊急家族会議。父親がきょうだい全員を座らせこう切り出した。

「六本木にマンションが建つ金があるけど、この金でアメリカに休養も兼ねて音楽留学もできる」

 仕事継続か米国留学か、二者択一の提案だった。全員一致で「留学」を選択した。「今のハードスケジュールから解放されたい」思いはきょうだい一緒だった。

 1975年8月、両親・きょうだい5人にスタッフ、親戚らも含めて総勢10人でロスに渡った。休養と音楽の勉強のためにビバリーヒルズに一軒家を借りた。返還前の沖縄に住んでいた僕らにとって米国生活に違和感はない。むしろ東京よりも暮らしやすかった。

 ロスのギタリストに付いてレッスンを受けながら、のんびり過ごす生活は快適だった。日本では疲れ切っていた僕らの顔にも生気が戻り生き生きとしていた。それでもマネジャーや長男らは日本の歌謡界がやはり気になるようだった。結局、1年足らずで帰国した。

 “大人になったフィンガー5”をコンセプトに活動再開。待ちかねていたファンで沸いたのも束の間、次第に人気も仕事もなくなっていった。

 当時の音楽界は、60年代後半から歌謡界を席巻した「ブルー・コメッツ」らグループサウンズは衰退。代わって吉田拓郎を筆頭とするフォークソングが台頭していた。歌って踊れる先駆者であり、僕らとかぶる存在だった「フォーリーブス」の人気は衰えなかった。ジャニーズは郷ひろみらを送り出し正統派アイドルブームが始まっていた。またフィンガー5と同じく“阿久悠&都倉俊一”の黄金コンビの楽曲で「ピンク・レディー」が世を席巻していた。

■きょうだいはそれぞれの道へ

 制作サイドとの話し合いの窓口になっていた長男はマネジメントに専念するために脱退。ロスに行く前から加入していた親戚の子やいとこが入り新生フィンガー5を結成したが、僕らのやりたい「大人の音楽」と周囲が求める「子供向けの音楽」には乖離があった。ファンとの距離も埋められず、かつての勢いは取り戻せなかった。

 78年、シングル「悩ませないで」を最後にフィンガー5としての活動終了を決意。「最後は沖縄で終わらせよう」の思いを胸に7月末に沖縄で解散した。

 きょうだい5人はそれぞれの道に進んだ。長男は不動産屋。次男は美容室に勤め、三男は都内でスナック経営。妙子は結婚。僕は「とりあえず食べていくために」と電器屋に就職。サラリーマンになった。 =つづく

(構成=二田一比古/芸能ジャーナリスト)

♪晃(あきら) 1961年5月9日生まれ。元「フィンガー5」のメンバー。現在も精力的に音楽活動を展開中。5月14日(土)、「まほろ座 MACHIDA」(東京都町田市)で「晃61stBirthday Live」、22日(日)、「magical fantasy」(東京都足立区)でアコースティックライブを開催。詳細は公式ブログ「山とネコと音楽と!!」まで。

提供元:Yahooニュース
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