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「危機の時代」にオードリー・ヘプバーンの「教訓」が響く…息子が伝えたい母の言葉(現代ビジネス)

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女性の美の基準、ファッションやハリウッド俳優の在り方に多様性を生んだオードリー・ヘプバーンの知られざる素顔に迫ったドキュメンタリー映画『オードリー・ヘプバーン』が5月6日に公開される。本作は2019年にオードリー生誕90周年を祝うため、彼女と最初の夫、メル・ファーラーの間にできた息子、ショーン・ヘプバーン・ファーラーさんが企画したものだ。
【写真】オードリーの息子と、彼女にそっくりな孫娘
「オードリー・ヘプバーンをひとりの人間として見せたかった」と語る彼へのインタビューをもとに、オードリー・ヘプバーンの人生を紐解く本インタビュー。前編では不幸な幼少時代から『ティファニーで朝食を』までを辿ったが、後編では裏切り続けられた結婚生活から晩年のオードリーに迫る。 不正義に立ち向かう強さをもつオードリーだったが、両親に愛されなかった経験から、心の中に脆さも持ち合わせていた。それは、自分より夫を優先し、夫に尽くすという愛情表現に表れた。
オードリーは、ショーンさんの父親である俳優・監督・プロデューサーのメル・ファーラーと25歳で結婚。2人は『戦争と平和』(1956)や『緑の館』(1959)などで共演し公私共にパートナーだった。しかし、オードリーはつらい流産を何度か経験する。流産を繰り返した理由も、戦争時の栄養失調が影響していたと推測されている。
31歳でやっとショーンさんを授かったとき、主婦としてできるだけ子どもと一緒に過ごしたかったオードリー。本当は専業主婦になりたかったが、夫は彼女に俳優であることを求めていた。夫の期待に応えるべく、仕事を辞めないで撮影現場にショーンさんを連れて行きながら、家ではソックスの穴を縫ったり、クッキーやケーキを焼いたり、普通の主婦として過ごしたオードリー。この頃をショーンさんは次のように振り返る。
「60年代のハリウッドスターで主婦になりたいという人はいなかったと思います。母はキャリアを捨てて主婦になり、子どもと過ごしたかった。それは彼女の不幸な生い立ちや何度も経験した流産が理由でしょう。彼女は主婦としても才能がありました。朝早く起きて私の宿題を見て、学校の送迎をしてくれる。休みの日には一緒に料理をしたり、ベッドメイキングをしたり。とにかく献身的に子どものために尽くしてくれたんです」
けれども、メル・ファーラーがプロデュースした『暗くなるまで待って』(1967)が公開された翌年に2人は離婚。ショーンさんは離婚の理由を明言しなかったが、別れの理由にオードリーが夫の期待に疲弊してしまったことや、夫の派手な女性関係が噂されている。
離婚の2年後、オードリーはイタリア人の医師アンドレア・ドッティと結婚し、ローマへ移住。翌年には次男を出産して、俳優を事実上引退。ローマで静かな主婦生活を送ろうとするも、パパラッチに追いかけ回される日々だった。悲しいことに、2番目の夫も絶えず浮気をしており、彼が浮気をした女性は200人以上もいたという。
世界中に愛されたオードリーだが、結婚した男性はなぜか浮気性だった。それでもオードリーはメルと8年間、アンドレアとは13年間も結婚生活を続けたのだ。映画の中で紹介された過去のインタビュー映像で、オードリー自身は「子どものために結婚生活にすがっていた」と自己分析している。「愛に飢えて育つと、愛されたときに愛を与えすぎてしまう」と。愛されなかったトラウマを抱えて、「誰かを愛したい、愛されたい」と痛切に願い続けていたのだ。だが、彼女が選ぶ男たちは、皮肉にも、無償に注がれる愛を軽んじてしまう男ばかりだった。
提供元:Yahooニュース

