夜遊びニュース詳細|ホスト・風俗の掲示板「夜遊びweb関西版」

夜遊びweb掲示板 関西夜遊びweb掲示板 関西
エリア選択

夜遊び掲示板を検索する

スレッドタイトルを対象とした検索ができます。※スペースのあり、なしで検索結果は異なります。

掲示板リストメニュー

朝日ジャーナル元編集長・下村満子さん「田原総一朗さんとは長生き競争しています」(日刊ゲンダイDIGITAL)

【あの人は今こうしている】

 下村満子さん
 (「朝日ジャーナル」元編集長・ジャーナリスト/83歳)

スタ誕!アイドルだった黒木真由美さんは62歳 結婚・引退・離婚を経ての“華麗なる転身”ぶり

 とある日の朝日新聞。求人欄でお手伝いさんを募集していたのはジャーナリストの下村満子さんだ。下村さんといえば、「朝日ジャーナル」元編集長で、かつては田原総一朗司会の深夜の討論番組「朝まで生テレビ!」(テレビ朝日系)にも度々出演。アクの強い論客を相手に気おされることなく、激論を戦わせていたおかっぱ頭がトレードマークの女性ジャーナリストだ。最近はテレビや活字媒体などでも名前を見かける機会がないが、下村さん、今、どうしているのか。

 ◇  ◇  ◇

 下村さんに会ったのは、東京・溜池山王にある会員制クラブのラウンジ。秘書の女性に付き添われた下村さん、まずはこう言った。

「目が悪いものですから、今日はワタクシの慣れているところへ来てもらいました。ここはウチから遠くないので、タクシーでサッと来て日がなラウンジで過ごすことも少なくないんです」

 目が悪いとは、どうしたのか。

「7年前、左目が緑内障になり手術をしたところ、医療ミスで失明してしまいました。その後、右目もボンヤリとしか見えなくなってしまって。ジャーナリストとして目が悪いのは大変です。ニュース記事などはiPadで文字を拡大して読んでいます。紙の新聞もとっていますけどね」

 高校の同級生だった夫とは3年前に死別し、1人暮らし。生活も不便だろう。

「お手伝いさんが着替えなどを手伝ってくれて、1日2回の食事も用意してくれています。実は25年務めてくれていた人が脳梗塞になってしまい、2月に急きょ、古巣の朝日新聞に“お手伝いさん募集”の広告を出したんです。そしたら20人ぐらい応募があり、優秀な大学を出た人や男性もいて驚きました。朝日新聞の求人広告はレベルが高いわね(笑)」

■朝日新聞退社後は経営者に転身

 さて、下村さんは幼少期は父親の仕事の関係で、満州で育ち、終戦翌年に帰国。慶応義塾大学経済学部卒業後、ニューヨーク大学大学院で修士号を取得し、帰国後の1965年、朝日新聞社入社。当時はまだ珍しかった女性記者として活躍し、82年には女性記者として初めて、国際報道に貢献したジャーナリストを表彰するボーン・上田記念国際記者賞を受賞。その後、女性初のニューヨーク特派員となり、「朝日ジャーナル」編集長、朝日新聞編集委員などを歴任した。

「『朝生』に出始めたのは、『朝日ジャーナル』を売るために目立つことをやろう、と思ったからです。最後に出たのはいつだったかしら。思い返せば、ずいぶんケンカしましたね(笑)。今年88歳になられた司会の田原さんとは今でも仲良しでお互いに長生き競争をしていますよ」

 50代半ばにして朝日新聞社を退社した下村さんはなんと経営者に転身する。

「ワタクシはジャーナリストである一方で、父亡きあと、55、56歳のときに母を支えようと、両親の経営していた財団法人東京顕微鏡院を引き継ぎ経営してきました。記者とは対極のような仕事でしたが、社員が約380人いましたから必死で経営を学び、3年目には京セラの稲盛さんから、稲盛経営者賞をいただいたんですよ」

 現在は経営の第一線を退き特別顧問を務めているが、ほかにも医療法人理事や公益財団法人の評議員なども務めている。

「でも、最も注力しているのは、『下村満子の生き方塾』の活動です。ペンの力で世の中を良くしたいとずっと奮闘してきたのに、良くなるどころか世の中はずっと後退しています。ワタクシは何をやってきたんだろう、もっと根源的な、命とは何か、生きるとは何か、という問いに向き合わなければいけないと、やむにやまれぬ気持ちで11年前に立ち上げました。20~70代の男女の塾生約50人と一緒に、年10回、小泉純一郎元首相や田原総一朗さんらを招いて、朝10時から夜9時まで講義を聴いたり、ワタクシも講話をしたり、みんなで座禅を組んだりしています。そうそう悩み相談を受けるYouTubeも始めました」

 いやはやパワフル! 目が悪くても、気力・体力は衰えしらずのようだ。

「人間ドックではどこも異常なし。骨密度は通常の1.5倍もあるそうです。カイロプラクティックや足つぼマッサージなどケアも欠かしません。でも、去年6月に心筋梗塞で1カ月入院したんですよ。夜中3時ごろ、突然、背中を鈍器で殴られたような痛みで目が覚めたんです。『このままいくのかな』と思ったのですが、静かに横たわっていたら、痛みがだんだん消えていきました。不整脈でできた血栓が詰まったものの流れたようで、後で医者が『助かったのは奇跡だ』と言っていました。これは神様が“まだまだ未熟だからもっと生きて苦労しろ”ということだと受け止めています。ワタクシは最後まで在野から声を発する人間でいたいですからね、ハハハ」

(取材・文=中野裕子)

提供元:Yahooニュース
新規レスの投稿
名前 (8文字まで)
E-mail
本文 (750文字まで) 必須

スレッドタイトルを対象とした検索ができます。
※スペースのあり、なしで検索結果は異なります。