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やっぱりJohnnyはRockがお好き! ゴルフクラブをもう一度ギターに持ち替えて 恩師の急逝きっかけに「横浜銀蝿40th」で再集結(夕刊フジ)


 “お前ら、待たせたな!”


 まさかの、Johnnyが帰ってきた。髪の色こそロマンスグレーに変わったが、カッコいいルックスは健在。現在はレコード会社の社長という肩書を持ち、ギターを手にするのも20年ぶりだったが、“ツッパリ”の心は忘れていなかった。

【写真】「横浜銀蝿40th」のTAKU、嵐、翔、Johnny

 「ギターを持ってみたら、楽しくて! 35年近く前にミュージシャンをやめて会社員になり、ギターをゴルフのクラブに持ち替えてかなりの年月が経ちました。まさか、銀蝿をやるなんて思ってもいませんでした」


 1980年代初頭、横浜銀蝿は時代の寵児となった。リーゼント、サングラス、皮ジャン、白いドカン…。80年9月のアルバム「ぶっちぎり」でデビューすると若者のハートをすぐにつかんだ。


 「高校で翔とバンドを組んだのが最初。数年後に翔のお兄さんの嵐と、TAKUと組んで今のメンバーになりました。オーディションに何度もチャレンジしたけど、受からなくて。40回くらい落ちたかもしれません」


 それでもやっとチャンスをつかみ、正式名称“THE CRAZY RIDER 横浜銀蝿 ROLLING SPECIAL”として、大学4年のときにデビュー。バンドは当時の“ヤンチャ”そのものだった。


 「とにかく一番長いバンド名にしてやろうと思って(笑)。あの頃は車が好きで、箱根に攻めに行ったり、(暴走族の)集会に行ったこともあります。そんな話をしていたら、周囲の大人たちに『それだけ面白いことをしているんなら、それを歌にすればいいんじゃないの?』って言われて。翔くんの天才的な作詞も相まって、一気に人気が出ましたね」


 81年のシングル『ツッパリHigh School Rock’n Roll(登校編)』で大ブレーク。ところがバンドの活動歴はわずか3年と少し。実はそれも予定より長いものだった。


 「シングル1位、アルバム1位、武道館満タンを2年で達成したら解散すると公約していて。でもシングルの1位がなく1年持ち越しました。そのうち『あせかきベソかきRock’n Roll run』で獲れて、83年いっぱいで解散することが決まりました」


 解散後も演奏活動はしていたが、27歳で結婚、子供ができたこともあり、30歳でキングレコードに就職。ディレクター、プロデューサーとして活躍した後、重要なポジションに就くようにもなった。


 「ミュージシャンへの未練はなくて、数年前まではゴルフのスコアを上げることに専念(笑)。ギターはいらなかった」


 突然の変化は、恩師が昨年夏に急逝してしまったことによりもたらされた。水橋春夫氏は、横浜銀蝿を世に出したプロデューサー。GSバンド・ジャックスの元ギタリストは、銀蝿、Winkらの生みの親だった。


 「僕の師匠です。迷ったときには、いつも的確なアドバイスをくれました。メロディーには刺激を受けたし、水橋さんみたいなディレクターになりたかったんです」


 水橋氏のお別れの会が昨年11月に都内で行われた際、20年ぶりに顔を合わせたのが翔。かつての盟友から出てきた言葉は、「再来年(2020年)は銀蝿40周年。一緒にやらないか」だった。


 「ええ~って。だいたい、ギターに触ってもいない。ちょっと待ってくれって。来年(19年)の3月まで考えさせてほしいって言ったんです」


 ■好きなことをやるのが、カッコいいの原点


 果たして、久々に抱えたギターは楽しかった。そして3月の初リハーサル。そこには40年前の自分が映し出されていた。


 「理屈抜きに楽しく、デビュー前を思いだしました。売れるとか売れないとかじゃなく、好きなことをやるのがカッコいいの原点。水橋さんが銀蝿につないでくれた…という思いもありました」


 今月2日にはオリジナルメンバー「横浜銀蝿40th」の初ライブ、ファンクラブ『フォーティース』発足記念集会が川崎クラブチッタで行われた。


 「ステージに上がる前は緊張するかなと思っていましたが、変な緊張もなく、ゴルフの百万倍楽しかった。60歳を過ぎ晩年になった今、またこんな楽しい場所に戻ってこられた自分は幸せです」


 大晦日の31日には「COUNTDOWN JAPAN19/20」のステージ(幕張メッセ=MOON STAGE)へ。来年2月19日にはオリジナル&ベストアルバムの「ぶっちぎりアゲイン」を発売。3月7日の横浜市教育会館を皮切りに、全国のZeppを回るツアー(3月22日札幌、28日難波、29日名古屋、5月3日横浜、6日福岡、16日東京)を展開する。


 「40thとしての活動は2020年の一年限定ですが、みんなと目いっぱい楽しみたいと思います」


 “夜露死苦!!”(ペン・秋谷哲/カメラ・佐藤徳昭)


 ■Johnny(ジョニー) 本名・浅沼正人(あさぬま・まさと)。1958年5月9日生まれ、61歳、横浜市出身。神奈川大学卒業。高校の同級生の翔(Vo、G)とバンド活動を始め、後に嵐(Ds)、TAKU(B)が加わり、79年9月に『T.C.R.横浜銀蝿R.S.』を正式結成。80年9月にシングル『横須賀Baby』、アルバム「ぶっちぎり」(キング)でデビュー。日本武道館でライブ、日本レコード大賞特別賞も受賞したが、83年12月31日で解散。30歳からキングレコードで制作に携わり、現在はベルウッドレコード株式会社の代表取締役社長。横浜銀蝿の復活は何度かあったが、Johnnyの復帰は今回が初。HP ginbae40th.com

提供元:Yahooニュース
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