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アカデミー賞受賞なるか? 『ドライブ・マイ・カー』を「死者の霊」から読み解く(現代ビジネス)

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「私が殺した…私が殺した…私が殺した…」
濱口竜介監督の映画『ドライブ・マイ・カー』の重要なシーンで、岡田将生演じる高槻耕史はこの言葉をまるで呪いをかけるかのように繰り返し口にする。
【写真】西島秀俊をはじめ、名演技を見せた『ドライブ・マイ・カー』出演者たち
高槻は、渡利みさき(三浦透子)が運転する赤いサーブの車内で、不倫関係にあった今は亡き家福音(霧島れいか)から聴いた物語を、その夫である家福悠介(西島秀俊)に語り直すのだが、「私が殺した」という言葉は、単なる「物語の締めくくり」であることを超えて、狭い密室内で不穏に反響する。
この言葉はどうしてそれほどまでに力を持つのだろうか。結論を先取りして言えば、それはこの言葉が車内にいる高槻、家福、みさきの3人がそれぞれに人を「殺した」ことを言い当ててしまうからだろう。奇異に聞こえるかもしれないが、ここでは〈降霊術〉を手がかりに、この言葉の不気味さについて考えてみたい。盛大にネタバレするので、未見の方はご注意願いたい。
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『ドライブ・マイ・カー』あらすじ
舞台俳優であり演出家の家福(かふく)は、愛する妻の音(おと)と満ち足りた日々を送っていた。しかし、音は秘密を残して突然この世からいなくなってしまう――。2年後、広島での演劇祭に愛車で向かった家福は、ある過去をもつ寡黙な専属ドライバーのみさきと出会う。さらに、かつて音から紹介された俳優・高槻の姿をオーディションで見つけるが…。
喪失感と“打ち明けられることのなかった秘密”に苛まれてきた家福。みさきと過ごし、お互いの過去を明かすなかで、家福はそれまで目を背けてきたあることに気づかされていく。(映画『ドライブ・マイ・カー』公式サイトより)
---------- 『ドライブ・マイ・カー』は、語ること、あるいは語り直すことをめぐる映画である。そのありようが降霊術に似ているように、私には思われる。降霊術とは、基本的には霊媒が死者の霊を召喚することを指す。その方法や霊の出現の仕方にはさまざまなパターンがあるが、ここではもっとも一般的な、霊媒に死者の霊がとり憑き霊媒の口と声を借りて言葉を語らせる現象を思い浮かべてほしい。
まずは主人公である家福の妻の音の語りに注目してみよう。
冒頭、ベッドの上で上半身を起こした音が女子高生の物語を語るシーンは示唆的だ。脚本家である音は、その物語を確信をもって語っているように見える。だが、実は音はこの物語を半ば無意識の状態で語っているためよく覚えておらず、翌朝夫である家福が語り直し、音はそれをメモしてテレビドラマの脚本として組み立てていくのである。
つまり音は、物語を意識的・主体的に紡ぎ出しているわけではなく、むしろ性交後のトランス状態にある彼女に、物語のほうが降りてきた、あるいは、とり憑いたかのようである。
その意味で音は物語の作者というより、自らの口と声で他者の物語を語る霊媒のような存在であると言える。音が語る物語は、のちに訪れるクライマックスで重要な役割を果たすのだが、そのことは後で述べる。ここではとりあえず、音が霊媒のように、どこからかやってきた物語を語っていたということを押さえておきたい。
言葉の起源、つまり「語る主体」の曖昧さは、家福の運転手を務めるみさきが映画の終盤で語る母の物語にも通じる。
みさきによれば、彼女を虐待していた母は二重人格で、いつも虐待の後で「さち」という8歳の少女の人格を発現させていたという。みさきは二重人格は母の演技であった可能性を口にするが、本当に二重人格であれ、演技であれ、「さち」の言葉を語るのはみさきの母である。
言い換えれば、「さち」はみさきの母の口をとおして語るのであり、この母もまた霊媒的な性質を帯びていたと言える。結果的に、母に憑依した(という言い方は適切ではないかもしれないが)「さち」はみさきの唯一の友だちとなり、虐待に耐えるみさきの支えとなる(※注1)。
この映画では、言葉はどこかからやってきて語る者にとり憑き、その口を借りてその声で語られるのだが、むしろその時にこそ、思いがけない力を持つことが示されているようだ。
そしてそのことは、この映画が中心に据える演劇という営みとよく似ている。
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※注1:木下千花氏は、娘を4歳で亡くした音とみさきの母について「まったく異なった社会的・経済的・文化的な境遇を生きた音とこの母は、明らかに重ねられている。二人とも、それぞれの理由から規範的な母になり損ね、密室でのセッションのなかで一種のトランス状態に陥って語る」と指摘している(「やつめうなぎ的思考」)。
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提供元:Yahooニュース

