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エリザベス女王、城の焼失で「税金を払え」と大批判…王室の危機を救った名策の数々(婦人画報)

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1997年、ダイアナ妃が亡くなった。王族でなくなっても「私たちのプリンセス」として愛され続けた存在の死に、エリザベス女王は、最初無関心を決め込んだ。その態度は国民の反感を買い、まるであてつけのように、ダイアナ妃が暮らした宮殿には、国民からの献花が花の海となって押し寄せた。一切の私情を押し殺した女王の姿が想像できる。そう、この出来事に象徴するように90年代は、女王にとって厄年の連続ともいえる歳月だった。
わたなべ・みどり●ジャーナリスト。文化学園大学客員教授。東京都出身。早稲田大学卒業後、日本テレビ放送網入社。1980年「三つ子15年の成長記録」で日本民間放送連盟テレビ社会部門最優秀賞。昭和天皇崩御報道の総責任者。1995年『愛新覚羅浩の生涯』で第15回日本文芸大賞。『英国王冠をかけた恋』など著書多数。文=渡邉みどり
思い返せば ’90年代はエリザベス女王にとって試練の連続であった。
御存知の通り、この時期、子ども達の結婚生活が次々と暗礁に乗り上げるのを見ていた女王は心が重かった。特にチャールズ皇太子とダイアナ妃のスキャンダルは女王にとって頭痛の種だった。じつは1995年のクリスマス直前、女王はダイアナ妃とチャールズ皇太子に「離婚をするように」とそれぞれに手紙を書いた。ヴェールの奥に秘されていたはずの王室の恥部があれこれ暴露され、英国王室の権威を維持してゆくためには、未来の英国王夫婦に離婚を決断させるしかない、と悩みぬいた末の苦渋の決断だった。受け入れるもなにも、そうするしかない切羽詰まった状況にまで追い詰められたのだ。
その3年前にさかのぼる1992年にも、女王が「アンヌス・ホリビリス(ひどい年)」と呼んだ出来事があった。それは、女王45回目の結婚記念日当日11月20日に勃発した。
エリザベス女王主宰の結婚45年を記念する祝賀の真最中に、バッキンガム宮殿から50~60キロ離れたウィンザー城から出火。火元は修復作業中のランプだった。火はカーテンに燃え移り、ミサの控室であるセント・ジョージ・ホールのはりまで黒焦げになった。ウィンザー城焼失の被害総額はおよそ6000万ポンドと発表された。
<写真>燃えるウィンザー城。
提供元:Yahooニュース

