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『WONDERFUL FISH』に見る今も変わらない、斉藤和義のロックアーティストとしてのスタンス(OKMusic)

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OKMusicで好評連載中の『これだけはおさえたい邦楽名盤列伝!』のアーカイブス。今週は斉藤和義のアーティストとしての本質を過去作、『WONDERFUL FISH』とともに振り返りたいと思う。
※本稿は2018年に掲載本稿作成の参考に…とWikipediaの斉藤和義のページを見ていてニヤリとしてしまうと同時に、“これも斉藤和義らしいなぁ”と思わず膝を打った。略歴の項目。そこに“デビュー15年目以降”という小見出しがある。所謂プロフィールなのだが、その“デビュー15年目以降”以降の紹介文の方が圧倒的に多く、しかも充実しているのだ。1995年の“同年代の一般女性と結婚”からその“デビュー15年目以降”までの間は何も記述がなく、まるで活動を休止していたかのようである。
もちろん、彼は活動休止などしてないし、しっかりと記載されたディスコグラフィーが示す通り、デビュー以来、斉藤和義は音源制作を欠かした年はない。ひいてはこの間、ライヴ活動も欠かした様子はないのだが(それは公式webサイトで確認)、この辺はあたかも“アーティストのやることは音源制作とライヴの他に何かある?”と言っているかのようである。
Wikipediaの“デビュー15年目以降”にしてもよくよく見ると、CMタイアップの件や2012年の『NHK紅白歌合戦』出演の記載はあるものの、あとは大型フェスやイベント参加に関する記載がほとんどで、こんなところからも、やはりこの人は徹頭徹尾、ミュージシャンであることが分かるのである。ちなみに斉藤和義は、1999年に伊藤広規(Ba)、小田原豊(Dr)とSevenなるバンドを組んでおり、この件はWikipediaの略歴に載せてもいいと思うのだが、これは彼にとって黒歴史なのだろうか。そうじゃなかったら、誰か追加編集頼む。…と熱弁しつつ、こんなことを言うのはほとんど反則技だろうが、“デビュー15年目以降”の前の斉藤和義は大きなヒット曲に恵まれた様子もないので、それもやむなしという気もする。斉藤和義の代表曲のひとつ、15thシングル「歌うたいのバラッド」は1997年にリリースされているが、その発売当初、あるいは同年発売の6thアルバム『Because』に収録された時点で、ファンの間では名曲の誉れ高い楽曲であったものの、それが広く知れ渡ったのはMr.Childrenの桜井和寿がBank Bandでカバーした2007年頃からであろうから、やはりそれも“デビュー15年目以降”のこと。
それ以前のトピックらしいトピックとなると、Wikipediaにもある通り、1994年にリリースされた4thシングル「歩いて帰ろう」がフジテレビ系子供番組『ポンキッキーズ』で使われたことくらいになるのだろう。だが、かと言って、当時、デビュー15年目までの斉藤和義の音楽が未成熟だったかと言えば決してそうではなかったことは、それこそ、その「歌うたいのバラッド」や「歩いて帰ろう」が後年に評価されたことが証明している。
「歌うたいのバラッド」は前述の通りだし、「歩いて帰ろう」は2015年にスズキの『ラパン』のCMやフジテレビ系バラエティー番組のメインテーマ曲に起用されたこともあってか、2016年度のJASRACの著作権使用料分配額ランキングで国内作品の年間10位を獲得したという。発売後20年以上を経てのブレイクはほぼ奇跡的な偉業と言える。当然のことながら、メロディー、歌詞、アレンジは当時と何も変わっていないので、チープな形容ではあるが、“時代が彼に追いついた”とはまさにこのことであろう。言うまでもなく、斉藤和義はデビュー時から才能あふれるロックアーティストだったのである。
提供元:Yahooニュース

