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黄ニラ大使・植田輝義~黄ニラのみそ汁の美味しさに感動して生産者に(ニッポン放送)

黒木瞳がパーソナリティを務める番組「あさナビ」(ニッポン放送)に、黄ニラ大使の植田輝義が出演。黄ニラの生産者になった経緯について語った。
黒木)今週のゲストは岡山県で黄色いニラ、黄ニラを生産されている、黄ニラ大使の植田輝義さんです。植田さんはもともと会社で働いていて、奥様と出会い、岡山に行かれたということですが。
植田)はい。会社は6年勤めて寿退社をしまして、妻の実家である岡山の農家に嫁いだという感じですね。
黒木)農家をすると決めて、会社を辞められたのですね。
植田)そうです。
黒木)植田さんが会社を辞めなければ、反対に奥様が兵庫に来るという可能性もあったわけですよね。
植田)そうですね。妻の実家の跡取りがいなかったのです。三姉妹で、上2人の姉たちは結婚して出て行っており、もう三女しか残っていない。それが彼女でした。初めて彼女の家に行ったとき、黄ニラの入ったお味噌汁をごちそうしていただいたのですが、それが美味しくて感動してしまって。
黒木)昨日の私のように。
植田)はい。そこから農業っていいな、黄ニラって美味しいなと思い、農業をやってみようと思いました。最初は軽はずみな気持ちで。
黒木)怖いもの知らずというか。
植田)そうですね。
黒木)やると言っても、農家は大変ですよね。
植田)最初は大丈夫だという気持ちで岡山に来たのだと思います。しかし、現実はなかなか厳しくて難しくて、地域との付き合い方も大変でした。くじけそうになったことはたくさんありましたけれど、自分が決めたことなので、やり通そうという気持ちもありました。自分は溶け込む気持ちで行っているのですが、なかなか地域の方からのご理解はいただけませんでした。一生懸命、農業をするしかないなと。最初の2年間は地域の方に覚えていただけるように、黄色いつなぎを着ていました。「僕はここにいるよ」という意味で。農業を始めて現在で20年ですけれども、やっとですかね。それでも難しい部分はあるのですが。
黒木)黄ニラを作るのは、最初からうまく行ったのですか?
植田)難しかったですね。教科書があるわけでもないですし、気候もあるので同じようにはできません。
黒木)最初は、奥さんのお父さんやお母さんに教えていただいて。一からですよね。
植田)はい、一からですね。寡黙な父なので説明しないのです。見て覚えるしかないので、わからないときには、地域の他の方に聞いて教わりました。
黒木)それでもご自身を奮い立たせたのは、自分が1度決めたからという思いですか?
植田)はい。いつか認めていただきたいという気持ちはありました。
黒木)余計に、この黄ニラを広めたいという思いに駆られるのでしょうか?
植田)ありますね。せっかく日本一の素晴らしいお野菜が岡山にあるのに、よく知られていない。そんな現状を目の当たりにして来たので、多くの方に知っていただきたいと思います。
黒木)これはどこで買えるのですか?
植田)東京だと新橋の駅にある、岡山のアンテナショップで販売されています。あとはインターネットで「黄ニラ」、もしくは「黄ニラ大使」で検索していただけば、通販で買えます。
黒木)全国どこでも送ってくださると。
提供元:Yahooニュース