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「クイーン」ブライアン・メイ初激白、映画でのフレディと父の確執は「僕と父の関係を基にしている」(スポーツ報知)

英人気ロックバンド「クイーン」のギタリスト、ブライアン・メイ(72)が初の自叙伝「QUEEN in 3―D クイーン フォト・バイオグラフィ」(NHK出版刊)を来年1月24日に発売することになりこのほど、ロンドン郊外の自宅でスポーツ報知のインタビューに応じた。大ヒット映画「ボヘミアン・ラプソディ」で描かれたフレディ・マーキュリーと父の確執と和解が、自身の父子関係がモチーフになっていたことを世界初告白。来年1月の約4年ぶりの日本公演に向けたメッセージも寄せた。
英国屈指の名門ゴルフ場にほど近い林の中の邸宅には、試作を重ねた3Dメガネや写真が並んでいた。クイーンサウンドを象徴する自作ギター「レッド・スペシャル」が有名だが、研究家肌のブライアンが音楽や天文学と共に、子どもの頃から傾倒してきたのが立体写真。自叙伝には、専用メガネで浮かび上がる300点超の秘蔵写真と、自身の半生記が264ページのボリュームで収められている。「写真はあまりにリアルなので、まるで自分が実際にそこにいるかのような錯覚に陥る。当時の思い出だけでなく、内面で感じていたことも文章として表現したんだ」と少年のように目を輝かせた。
日本でも130億円超のヒットを記録した「ボヘミアン・ラプソディ」で、クイーンは再び世界を熱狂させた。中でも、音楽の道に進んだフレディに失望した父が息子と和解するシーンは映画の重要な要素となっているが、本書では、ブライアン自身、息子を科学者にすることを夢見ていたエンジニアの父との確執と和解がつづられている。そのことを質問すると、少しためらいながらも、世界初公開の“真実”を明かした。「映画の脚本家に自分の父親の話をしたら、『それは効果的なシンボルだ。これをフレディのために使うことができる』と言われた。これが真実なんだ。そのシーンは僕と父の関係を基にしている。実は僕はフレディと彼の父の関係は知らないんだ」。そう語ると「君にこれを言うべきだったかわからないが、みんなもう映画を見てるだろうから大丈夫だろう。(通訳に向って)これを日本語に訳したら彼は驚くよ」と笑った。
本書では、エイズに倒れたフレディとの最後の日々も克明に記されている。スイスの自宅で、フレディが壊死(えし)した足を切断した痕を見せた時の2人のやりとりは胸に迫る。「僕らは彼の望む通りにした。『憐憫(れんびん)の目を向けられるのは嫌だ。この世を去る時まで、僕たちがやるべきことをやっていきたい』と。つまり、ほかのことは意識せず音楽だけに集中していた。音楽を作り、おいしいものを食べて飲んで、楽しい時間を過ごせた。ただ、フレディがなぜあそこまでポジティブでいられたのかはわからない。彼が体験していたのは悲惨なことだったから」
デビュー(1973年)当初、世界に先駆けて人気が出た日本には特別な思いがあり、本書でも多くのページを割いている。「日本では音楽を通してだけでなく、自分たちの肉体、顔を通して伝えていくこともできるのだと気づかせてくれた。僕らはコミュニケーターとして成長したんだ」。米歌手アダム・ランバート(37)をボーカルに迎えた「クイーン+アダム・ランバート」として行う来年の日本公演では、映画でクイーンを知ったという若いファンも大勢訪れることになりそうだ。「自分たちの音楽だと思って体験してほしい。僕たちは地理的にも世代的にも特定されるものではない。クイーンは世界の申し子、あらゆる世代の申し子なんだ」。日本での大歓声を想像しながら親指を立てた。(高橋 誠司)
◆秘蔵写真も、来年1月に初自叙伝
子どもの頃、シリアル食品の付録にあったものに触れて以来、立体写真にのめり込んだというブライアン。今回の著書について、倉庫や引き出しに眠っていた古い写真を修復するなど根気のいる作業を続けてきたという。同じ写真を左右に並べて、フクロウのような形の専用のメガネ(リトル・オウル・ビューワー)で見る方式。「写真を心地よく見られるかどうかを懸念していた。3Dの本を読んで頭が痛くなることがよくあるが、そんなことはあってはならなかった」
◆ブライアン・メイ(Brian May)1947年7月19日、英ミドルセックス州生まれ。72歳。71年にフレディ・マーキュリー(ボーカル)、ジョン・ディーコン(ベース)、ロジャー・テイラー(ドラム)と「クイーン」を結成し、73年にアルバム「戦慄の王女」でデビュー。代表曲「ボヘミアン・ラプソディ」収録の75年10月発売のアルバム「オペラ座の夜」が世界的なヒットとなり、「伝説のチャンピオン」など大ヒット曲を連発。有名な「ウィ・ウィル・ロック・ユー」はメイが作詞・作曲した。91年11月にフレディがエイズで死去した後もポール・ロジャース、アダム・ランバートらをボーカルに迎えてクイーンを継続している。
提供元:Yahooニュース