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花岡優平さんの“音楽の扉”を開いた ザ・カーナビーツ「好きさ好きさ好きさ」の衝撃【私の人生を変えた一曲】(日刊ゲンダイDIGITAL)

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【私の人生を変えた一曲】
花岡優平さん(作曲家、シンガーソングライター/70歳)
秋元順子が歌うヒット曲「愛のままで…」は今も中高年に大人気。作詞&作曲を手がけたのは今月古希を迎えたばかりの花岡優平さんだ。グループサウンズ全盛の中学時代に聴いたザ・カーナビーツの「好きさ好きさ好きさ」が音楽への扉を開いた一曲だという。
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◇ ◇ ◇
僕は大分・別府の出身です。音楽との出合いは5、6歳の頃。叔母がアメリカの軍人と結婚したのですが、2人が付き合っていた頃によくウチに来て、キューバのマンボとかペレス・プラードのレコードを持ってきて聴かされました。
ところが、そんな生活も小学2年の時、両親の離婚で一変します。僕と弟が父に引き取られ、3年後には父が再婚して子供も2人でき、僕と弟は家族の輪から外れた感じになって。自我に目覚めたのはその頃。5年生の時に合唱団に入って「かあさんの歌」を歌った時は心に響きました。音楽はいいな、人は歌に救われると思いました。
中学では吹奏楽部に入りました。「闘牛士のマンボ」を演奏した時、そういえば、叔母と彼がいつも聴いていたのを思い出し、音楽の楽しさを知るわけです。そうこうしているうちに思春期を迎え、自分の居場所がない家庭に不満が爆発、グレる。家庭内暴力という形で。父や新しいお母さんと取っ組み合いのケンカもしました。
そんな時、出合ったのがザ・カーナビーツの「好きさ好きさ好きさ」。当時は石原裕次郎が「嵐を呼ぶ男」でドラムを叩き、小林旭が「渡り鳥」シリーズでギターを弾いていましたが、演出の部分があるのは子供心にもわかった。だからアイ高野がリアルにドラムを叩いて「おまえのすべ~てを」と絶叫する姿に衝撃を覚えました。面白い、こんな音楽もあるんだとその時代の先鋭的なものに魅かれたんですね。
それでつい初めてレコードを買ったというのが音楽人生の始まり。不思議なんですけど、初めて買ったレコードははっきり思い出せるのに2枚目は覚えていない。でも、当時はリアルにお小遣いを貯めるかバイトをやって努力して買った。喜びの重さが今とは違うかな。あの曲を聴いた時のインパクトは特別で、音楽を一生やっていくと決めました。それが音楽人生というジグソーパズルの最初のピースです。
中学を出た後は東京に出ました。吹奏楽部の恩師が東京には働きながら昼は学校に行ける奨学生制度があると教えてくれて、新聞配達をやりました。大分を出る時は悲しかったですね。実の母と叔母が僕を見送るために、駅のプラットホームの前方の電圧器が入っている小屋のところに、隠れるように立っていた……。僕はそれを知らなくて、汽車が通り過ぎようとした時に初めて気がつき、手を振っている姿を見つけたんです。ビックリもしたけど、涙が止まりませんでした。
21歳まで新聞配達を続けて「音つばめ」というグループで1978年にデビューしました。同期はサザンオールスターズです。活動したのは10年くらいで10枚シングルを出したけど、全然、売れなかった。幸運だったのが81年に作った「愛の終りに」という曲が大手芸能プロの目に留まったこと。高田みづえのシングルにしたいという。事務所も力を入れ、この曲がヒットし、歌うより書く方がいいかもと作曲家に転身することができました。
提供元:Yahooニュース

