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【インタビュー】忘れ去ってしまうことへの恐怖――モデル・雅子の夫がドキュメンタリーを作った理由 30年の軌跡から見えるもの(cinemacafe.net)


モデルとして80年代から数々の雑誌で活躍し、女優としても、出演作は決して多くはないものの『リング』の貞子の母親役などで鮮烈な印象を残した雅子さん。

【写真】2015年の1月、50歳の若さで亡くなった雅子さん

彼女が、罹患者は10万人にひとりという希少なガンとの闘病の末、50歳の若さで亡くなったのは2015年の1月のこと。それからほぼ間を置かず、彼女の夫である大岡大介は、彼女の半生をたどるドキュメンタリー映画の製作を決意する。


彼女が19歳でデビューした当時のことや、その後の活躍について知るカメラマンやモデル仲間、スタイリスト、映画やCMの共演者、映画監督など多くの関係者に取材し、4年もの歳月を経て完成したのが7月26日(金)より公開される映画『モデル 雅子 を追う旅』である。


映画製作の動機は「モデル・雅子を知らな過ぎたから」

「ここまでくると、ずっと彼女に向き合っていたというよりも、ある意味で一緒に生きてきたような感じですね」――。大岡監督はこの4年半の歳月をそうふり返る。



大岡監督が雅子さんと結婚し、生活を共にした時間は2006年から2015年までの約9年弱。知り合う以前は、“モデル・雅子”の存在すら知らなかったし、結婚後も互いの仕事について、深く話をすることはあまりなかった。


「たまに『こんなの出たよ』と自分が出ている雑誌を見せてくれたりはしたし、『仕事どう?』くらいの会話はしましたが、家での会話は、2人での生活のことが最優先でした。趣味や交友関係でも、互いの領域に踏み込むことはあまりなくて、例えば2人とも映画は好きだけど、僕はハリウッド映画とアニメが好きで、彼女が好きなのはアート系やフランス映画。『え? 『スター・ウォーズ』見たことないの? 信じらんない!』『はぁ? なんでよ?』みたいな会話を繰り広げてましたけど(笑)」



彼女が亡くなって、大岡監督は初めて気づく。モデルとしての雅子さんについて、自分がほとんど何も知らないということに。


「この映画を作った第一の動機は、あまりにモデル・雅子を知らな過ぎたから。恋焦がれるような気持ち、そしてなにより、彼女を忘れてはならないという思い、自分が彼女を忘れ去ってしまうことへの恐怖で動き出しました」。



関係者の話から浮かび上がる雅子の姿

『リング』の中田秀夫監督や雅子さんを被写体に多くの写真を撮影したカメラマンの安珠が、彼女の持つ特別な“何か”について語れば、CMで共演した高嶋政宏やモデルの藤井かほりは撮影現場や日常での彼女のプロ意識の高さを語る。


その一方で、彼女が出演した映画『サヨナラCOLOR』を監督した竹中直人は「顔はあんなにきれいでシャープなのに、お茶目でちょっとドンくさい雰囲気もあって…(笑)」と意外な一面を明かし、彼女が通っていたバレエ教室の先生は「超不器用ですよ」と断言する。大岡監督は、自身が出会う以前の雅子について語られる様々な言葉をどう受け止めたのか?



「さばさばした性格で、飾ったところのない人だったので、彼女がモデルとしてどんな立ち振る舞いをしていたのかは想像はしていましたが、具体的にお話を聞くと、僕がなんとなく『こういう人だな』と思っていたものがどんどん裏付けられていくような感じでした。全く新しい、知らない雅子像が出てきたというよりは、いろんな人の言葉によって、ボンヤリとした幻、蜃気楼の輪郭がハッキリとしてきたような」。


「不器用な部分なんかは、僕は普段からそういう部分を見てきましたので、なんならもっと知ってますよ(笑)という感じですね。彼女が亡くなってから、SNSなどを通して、ある種、彼女を崇め奉るような大ファンの方から連絡をいただいたりもしていて、でも僕に言わせれば彼女は“普通の人”でした。だから、そういう彼女のヌケサクな一面をしっかりと語ってくださる方がいたのは嬉しかったですね」。



モデルとしての高いプロ意識

モデル仲間や友人たちの口から、道を渡るほんの数秒、紫外線にさらされる際にも雅子さんが日傘を使用し、風呂上がりのスキンケアなどに、同じモデル仲間も驚くくらい、時間をかけていたことなどが明かされる。プロ意識の高さ――そこには、彼女の仕事に対する責任感だけでなく、誰もができるわけではないモデルという仕事に対するプライドがあった。



「映画の中で、(モデルの)木村東吉さんが『モデルとは何か?』ということを語ってらっしゃいますが、雅子もまた、自分に課せられた仕事がなんなのか? ということに非常に意識的だったんだと思います」。


「これは映画には出てこないですが、彼女と出会った頃のすごく印象的な言葉があって、ちょうどその頃、いわゆる“読者モデル”と言われる、ごく普通の人との境界線が曖昧なまま、いろんな活動をする人たちが出始めてきていたんです。そういうコたちが、ランウェイを歩いているのを見て、僕が何気なく『すごいよね』とポロっと口にしたら、彼女はすごく真剣な顔で『そういう人たちをモデルって呼ばないで』と言ったんです。その出来事は僕の心の中にずっとくさびとして残っていたんだなと思います。19歳でモデルを始めて、20代、30代、40代と『モデルの務めとは何なのか?』『何をもってモデルたりうるのか?』と彼女は懸命に真摯に考え続けてきたんです」



希望や未来も感じた闘病生活

映画では、彼女の病気、闘病生活や死についても描かれる。がんの転移が見つかり、その治療の過程で骨がもろくなり、胸椎を圧迫骨折をしたことで、モデルの命とも言える「姿勢」を取り戻すことが困難になっても、彼女は「(顔だけを撮影する)ビューティーの仕事ならやれる」と笑みを浮かべて語ったという。2人の最後の日々は、強く胸に迫るが、決して大げさな悲愴感を感じさせず、むしろ希望や未来さえ感じさせる。



「彼女の姿を見て、僕自身、頑張らなきゃと勇気づけられましたね。そういう部分に関して、2人とも“そこそこの頑張り屋”であり、“まあまあのリアリスト”であり、“まあまあのロマンチスト”でもあり、その配分がいい感じで合っていたんでしょうね」。


「一番大事なのは、今日一日を生きのびることであり、その積み重ね。病気があるのは事実だけど、それも含めて生活なんだと。2人とも『もう私死ぬわ…』『そんなこと言うなよ』『手を握って』みたいのは大嫌い(笑)。もっと言うと『これ、絶対に治るだろ』って疑いのない思いを抱いていました。彼女は自分の身体のことですから、どこかで『もうダメかも』とか『しんどい』という思いもあったかもしれないけど、そんなの一切出さず、深刻になり過ぎずに普通に生きることを大事にしていたように感じています」。



“強さ”から“柔らかさ”を身にまとう雅子「僕にとってもひとつの発見」

そして本作において語られる様々な“言葉”と同等、いやそれ以上に強いエネルギーを持っているのが、写真や映像に残る雅子さんの姿そのものである。映画のポスタービジュアルに使用されているのは、大岡監督が知り合うよりもずっと前の、20代の頃の若き日の写真。映画の中でも言及されるが、30代後半、40代と年齢を重ねていく上で、彼女がある種の“柔らかさ”を身にまとっていく一方、若い日の姿、特にその視線は何かに挑戦するような、対峙するような“強さ”を帯びている。「それは僕にとってもひとつの発見でした」と大岡監督は言う。



「若い時の雅子と年齢を重ねてからの雅子。どちらも同じ人物だけど、違う…でも、間違いなく雅子――雅子の皮をむいたら出てきた雅子とでもいうのか…? (若い頃は)物語を背負っているようにも見えるけれども、でも、物語を背負えるほどには歳を重ねてもいないんですね。何なんだ? これは…と一瞬、頭が混乱するような思いに駆られました。そんな彼女が年齢と共にいろんなものを備えて、柔らかくなっていったのかな? そんなことまで気づかせ、感じさせてくれる、改めてとんでもない人だったんだなと感じました」。



80年代、90年代、そして2000年代以降、社会や女性の在り方が変化していく中、モデルとして、時代を自らの肉体に映し出し、駆け抜けた雅子さん。まさに現代を生きる人々の“モデル”であり、観る者の心に強く何かを訴える。

提供元:Yahooニュース
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