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「五木をレコ大歌手にする」士気を高めた徳間音工の宣伝チーム【五木ひろしの光と影<29>】(日刊ゲンダイDIGITAL)

【芸能界と格闘技界 その深淵】#93

 五木ひろしの光と影(29)

 ◇  ◇  ◇

 1969年に制定された「日本歌謡大賞」は、毎年高視聴率をはじき出していた「日本レコード大賞」に倣って、TBS以外の民放8局によって制定された音楽賞である。TBSが独占するレコード大賞のようにはせず各局持ち回りで放映された。「公平性を保つため」というが、はたしてどうだったか。1993年に24年の歴史に幕を下ろした「日本歌謡大賞」がレコ大の権威を超えることはついになかったが、所属歌手を抱える音楽関係者にとっては「中盤戦の天王山」「レコ大の前哨戦」とみる向きもあり、開催自体、非常に重要な意味を含んでいた。

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 当初、野口修は「レコ大の前祝いだ。歌謡大賞も絶対に取る」と豪語したが、結果から言うと、大本命の「危険なふたり」(沢田研二)があっさり受賞した。さすがの野口も肩を落としたというが、周囲の関係者には「吉報」と捉える者も少なくなかった。彼らは「野口さん、かえってよかったよ。チャンス到来。これでレコ大はいける」と言ってきた。「何を言うんだ。前哨戦に敗れて、チャンス到来もへちまもないだろう」と抗弁する野口に「いやいや、これでよかったんだって。後でわかるよ」と一笑に付した。その中には野口と懇意にしていた渡辺プロダクションのマネジャーも含まれたという。

 つまりはこういうことである。「日本歌謡大賞」の第1回の受賞曲は「圭子の夢は夜ひらく」(藤圭子)、第2回は「また逢う日まで」(尾崎紀世彦)、第3回は「瀬戸の花嫁」(小柳ルミ子)と第2回の「また逢う日まで」以外はすべてレコ大と異なる曲に栄冠が輝いている。すなわち、受賞したからといってレコ大に近づくわけではなく、むしろ「歌謡大賞が取れたんだから、レコ大の方はいいだろう」という意識を審査員に持たせてしまいかねないのである。選挙の際に、候補者の名前を書く選挙区と、政党名を書く比例区が必ずしも一致しないのと同じことである。

 事実、沢田研二が所属するレコード会社のポリドールの宣伝チームには「これで面目が立った」という安堵した空気が蔓延したという。対照的に五木ひろしの所属する徳間音工の宣伝チームは「これで正真正銘、背水の陣だ。絶対にレコ大は取る。五木をレコ大歌手にする」と士気を高めた。

 話は2013年まで飛ぶ。NHK BSプレミアムのトーク番組「吉田拓郎の千夜一夜」に沢田研二がゲスト出演した。ホスト役の吉田拓郎が「沢田さんもかつて、レコード大賞とか受賞していましたよね」と話を振った。「ええ、一度だけ」「え、一度だけ? 沢田研二が一度だけっていうのも意外だな。やっぱりあれは、ポップス系に冷たいの?」と吉田拓郎が核心に迫ると、沢田研二は「まあ、あれは、パワーゲームだから」と一笑に付した。「それには何とも言えない」と吉田拓郎が苦笑まじりでその話題を締めくくったが、当の沢田研二からは、煮え湯を飲まされた苦い記憶と生ぬるい感情が画面越しから伝わった。

 1973年師走のこの時期、まさに「パワーゲーム」の真っただ中にあった。 =つづく

(細田昌志/ノンフィクション作家)

提供元:Yahooニュース
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