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高島忠夫さん死去 88歳老衰…お茶の間沸かせた名司会、98年うつ病発症(スポーツ報知)

映画やドラマ、テレビ番組の司会などで活躍した俳優の高島忠夫(たかしま・ただお、本名・高嶋忠夫)さんが26日午後1時1分、老衰のため、都内の自宅で亡くなっていたことが28日、分かった。88歳だった。女優で妻の寿美花代(87)の意向で、27日に家族だけで密葬を行った。息子で俳優の高嶋政宏(53)、高嶋政伸(52)兄弟は追悼コメントを発表。お別れ会などの予定はない。
最愛の妻にみとられ、高島さんは天国へと旅立った。政宏、政伸はいずれも仕事先で訃報を受け、その後、無言の対面を果たした。寿美の「最期は家族で見送りたい」という希望でひっそりと密葬を執り行い、品川区の桐ケ谷斎場で荼毘(だび)に付された。
1998年に重度のうつ病を発症し、03年に復帰した後もパーキンソン病や不整脈で心臓にペースメーカーを取り付けるなど相次ぐ病魔と闘ってきた高島さん。ここ数年は入退院を繰り返していたが、数か月前から体力が落ち、最後は自宅で寝たきりの状態だった。
関係者によると、寿美はコメントできる状況になく、息子2人が代わりに文書でコメントを発表した。政宏は「病院からの、『5分後にご家族集まって下さい!』のエマージェンシーコールが、頻繁にあるようになったのが2年前。その度に全身が総毛立つような感じになりましたが、ここ数か月、呼吸も弱まり、母いわく『最期は眠るように旅立っていった』のが、せめてもの救いです」とつづった。
政伸は「父は最後まで明るく、よく通る声で笑ったり話したりしながら、大好きだったフリオ(イグレシアス)の歌声に包まれて、本当に穏やかに旅立ちました。穏やかな最期を迎えられました」と明かした。政伸は15年に一般女性と再婚し、17年に高島さんにとっては初孫となる長男が誕生。事務所関係者によると、孫の存在が高島さんの生きがいになっていたという。
51年、新東宝の第1期ニューフェース「新東宝スターレット」に合格し芸能界入りした高島さんは52年に映画「恋の応援団長」でデビュー。端正なマスクと関西弁の巧みな話術で人気を集めた。63年に宝塚のトップスターとして人気絶頂だった寿美と結婚。64年に生後5か月だった長男が家政婦に自宅で殺害されるという悲劇を乗り越え、65年に政宏、66年に政伸が誕生した。
芸能界きってのおしどり夫婦として2人で司会を務めた日本テレビ系の料理番組「ごちそうさま」は71年から26年続いた。フジテレビ系「クイズ・ドレミファドン!」の司会としても活躍し、番組から生まれた「イエーイ!」のフレーズは高島さんの代名詞として親しまれた。
仲良しファミリーの象徴的な存在として長年注目を集めたが、晩年は病との闘いだった。98年、うつ病の治療に専念するため、25年間務めたフジテレビ系「ゴールデン洋画劇場」など全ての仕事を降板。自室の雨戸を閉め切って、一日の大半をベッドで過ごすという壮絶なものだった。04年の本紙インタビューでは「今も原因は分からない。68歳から72歳の5年間のことは記憶の彼方」と語っていた。
最後のテレビ出演となったのは、13年のフジ系「カスペ!~独占密着!真実の高島ファミリー~」。自宅を公開し、介護うつになったという寿美との赤裸々な老々介護の日々が大きな反響を呼んだ。
提供元:Yahooニュース