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「人生の第4楽章」 75歳の加藤登紀子さんが語る“終わり方”(産経新聞)


 75歳になった歌手の加藤登紀子さんが「愛の4楽章」をテーマにした全国ツアーを展開中だ。今秋55年目を迎える歌手としての道のり、結婚生活や3人の娘の子育て、夫、両親ら大切な人たちとの別れ…四半世紀ずつ4つの時代に分けた人生を振り返りながら、いま第4コーナーの出発点に立つ加藤さん。「残り時間」をかみしめつつ、いろんなしがらみから解放された4楽章の楽しさ、そして“終わり方”を思う。(文化部 喜多由浩)


■解放されて


 「愛の4楽章」のツアーは、1「始まり」2「惑い」3「追憶」4「永遠」とサブタイトルをつけ、それぞれの時代に沿ったラブソングでつづってゆく。


 東大在学中に歌手デビュー。以来、半世紀以上、『ひとり寝の子守唄』『知床旅情』など、多彩なジャンルでヒットを飛ばす。レパートリーは約700曲、出したアルバムは80枚以上に上る。女優、声優、作家としても活躍し、常に第一線に立ち続けた。


 私生活では、幼時の満州(現中国東北部)からの引き揚げに始まって、世間にセンセーションを巻き起こした学生運動のリーダーだった藤本敏夫氏(平成14年、58歳で死去)との獄中結婚、出産。子育てと仕事の両立。平成7年には全日空機ハイジャック事件に遭遇するなど、波乱の半生と言っていい。


 「『我慢の数が年齢』だというけど、1、2、3楽章の苦労や経験が伏線になって4楽章がある。3人の娘も自立し、夫を見送ったいま、私は完全に解放されてラクになった気分。好きなことを、好きな人と、好きなように生きる。その代わり、責任も100%自分で負うと決めたのです」


 その決意をする大きな転機が、3楽章(50歳~)の少し前にあった。


 フランスやアメリカなど海外での公演やアルバム制作など、リスクも大きくなり、人に任せておけないと判断。加藤さんは、新たな事務所を立ち上げる。それは歌手活動も、お金のことも、すべて自分で把握し、責任も取る。「身の丈以上のことはやらない」という決意表明でもあった。


 平成4年には歌手になるきっかけをつくり、大きな影響を受けた父、幸四郎(こうしろう)さんが82歳で亡くなっている。「人生は面白うないとあかん」がモットー。戦前は新天地を夢見て満州へ移住。ロシアをこよなく愛し、亡くなるまで「男のロマン」を追い続けた人だった。


 「(ロシア語の歌の)『百万本のバラ』を私に歌わせようと仕掛けたのも父でした。お酒が好きで歌が好きで何よりも人間が大好き…父の存在が私のエネルギーになったのは間違いありません。何でも自分でと決めたのも父が亡くなったことがあったと思いますね」


 ■人生の残り時間


 夫、藤本さんとの出会いはもはや伝説的だ。学生運動が盛んだった昭和43年、「学生の集会で歌ってほしい」と藤本さんが依頼に来たのがきっかけ。やがて2人は恋人同士になるが、さまざまな闘争事件に関わった藤本さんは出入獄を繰り返す。そして47年春、藤本さんの収監中に妊娠が判明し、獄中結婚を決める。


 東大出の歌手と、学生運動のリーダーとの獄中結婚、出産はメディアを騒がせた。「運命の人」との結婚で3人の娘にも恵まれたが、藤本さんは農業や環境問題にのめり込み、東京(加藤さん)と千葉・鴨川(藤本さん)との別居生活が続く。藤本さんは、平成4年の参院選に出馬し(落選)、何度か離婚の危機を迎えることも。


 「『一番つらかった時期は?』と聞かれて思わず『結婚していたころ』と答えてしまったことがあります。もちろん結婚生活がイヤだったわけではありませんよ。ただ、当時は子育てに追われ、仕事量も多く、とにかくが大変でしたから」


 夫との関係は、どこか両親と似ていた。夢とロマンを追い続ける男と、手綱を締める女…。そして、50代後半で迎えた「永遠の別れ」。亡くなってから夫の大切さ、存在感の大きさを、加藤さんは改めて思い知らされることになる。


 50歳からの3楽章は、父親と夫を見送った時期でもあった。「大切な人を見送ったことで、生きる意味の感じ方が変わった。どんな人も終わっちゃうんだと思い、“ピリオドから人生を見る”ようになりました。そうすると、残り時間はとても大切だし、納得できる生き方にしなくちゃという思いも強くなりました」


■ラブソング復活


 4楽章を迎えたいま、毎日“終わり”を見届けるサイクルができた。昨日のことは忘れて、1日ごとにピリオドを打つ。明日はまた真っさらで迎える。


 そして、人生の“終わり”さえも冷静に、俯瞰(ふかん)的に考えられるし、自分でしっかりとプランニングしたいと思う。


 「最後はやっぱり盛り上がりたい”と思う。理想は終わりまで歌っていたい。そのためには肉体の衰えをカバーし、クオリティーを維持する日々の努力も必要。リハーサルもしっかりやるし、発声などのトレーニングも欠かせません」


 夫の死から、しばらく歌えなくなったラブソングも歌うようになった。


 「あの世とこの世の接点というのかな。ステージで歌っていると、(亡くなった人も)聴きに来ていることを感じる。歌で対話をしているようで…」


     ◇


 かとう・ときこ 歌手。昭和18(1943)年、満州ハルビン生まれ。東大在学中に日本アマチュアシャンソンコンクールで優勝し、40年、デビュー。47年、学生運動のリーダーだった藤本敏夫氏と結婚、3人の娘に恵まれる。宮崎駿監督のアニメ映画『紅の豚』では声優と主題歌を担当した。


     ◇


 コンサート情報は、6月23日長野・まつもと市民芸術館(信越放送026・237・0545)▽7月20日川崎・麻生市民館(パインオリジン044・989・8548)。

提供元:Yahooニュース
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