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ついに離婚成立のビートたけしは決して強い男ではない…母性への強い依存と死への思い(スポーツ報知)

ビートたけし(72)が39年間連れ添った妻・幹子さん(68)と協議離婚していたことが分かった。
1980年に結婚(婚姻届提出は83年)。別居期間も長かったが強気の性格でそのタレント活動を支え、1男1女を立派に育て上げた幹子さん。86年12月のフライデー襲撃事件での逮捕、生死の境をさまよった94年8月の原付バイク事故など、数々の試練を乗り越えてきたパートナーとの覚悟の別れだった。
すでに7年前に知り合った18歳年下の女性パートナー・Aさんと都内の自宅で同居。マネジメントも全面的に任せているという。超大物タレント・ビートたけしとしてより映画監督・北野武として、その背中を追いかけてきた私にとって「世界のキタノ」が、どれほど女性、特に母性を強く求めているか―。それを強烈に実感させられたのが、19年前の雷雨の夜のことだった。
当時、映画担当だった私は97年9月、「HANA―BI」で第54回ベネチア映画祭の最高賞・レオーネドール(金獅子賞)に輝くなど、映画監督として世界のトップを走り始めた北野監督に番記者として密着。トップタレントと映画監督という二つの顔を持つ多忙な大物の行くところ、どこにでも顔を出す毎日だった。
そして、99年8月24日の午後7時半、私は喪服に身を包んだたけしの左隣にいた。最愛の母・さきさん(享年95)の通夜が東京・葛飾区の蓮昌寺で営まれた。通夜終了後、憔悴し切った様子のたけしは降り続く雷雨の中、テントの下で待ちかまえた取材陣の質問に答えたのだった。
「本当にたけしさんのことだけを考えて生きてくれたお母さんで
したよね?」―。そう質問したのは、16年に死去した芸能リポーター・武藤まき子さんだった。「泣かせのまき子」と言われた武藤さんの言葉に、それまで淡々と答えていた、たけしは「俺の見ていた母親はいつも働いていて、いつも泣いていた親だったからさ…。感謝してる…」。そう絞り出したとたん、「うう~…」と泣き出すと、降り続く雨でぐちゃぐちゃの地面にガックリとヒザをつきそうになった。
提供元:Yahooニュース