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R-1覇者やまもとまさみ 8カ月迷いクレープ店オーナーに転身したワケ(日刊ゲンダイDIGITAL)

【あの人は今こうしている】
ピン芸日本一を決める「R―1ぐらんぷり」。歴代チャンピオンには博多華丸(第4代)、じゅんいちダビッドソン(第13代)、そして今年優勝の霜降り明星・粗品ら芸達者が並ぶ。本日登場のやまもとまさみさん(45)は2014年の第12代王者。だが最近、テレビでは見かけない。さて、どうしているのか?
◇ ◇ ◇
「いらっしゃいませ。どちらになさいますか?」
都内町田市のショッピングモール「ままともプラザ町田」内のクレープとタピオカドリンクの店「ジェラフル町田店」へ行くと、見たことのある人が接客中だった。
紺のギンガムチェックの半袖シャツにジーパン、黒い帽子。やまもとさん、ご本人ではないか。
「僕がオーナーなんです。フランチャイズ店であくまで副業ですけど、今では自称クレープ芸人ですよ。アハハハ」
オープンは今年3月。
「注文を受けてから焼き上げるモチモチのクレープ生地に、5種類のソース、15種類のトッピングをチョイスできます。しかも、ヘルシーな植物性ホイップクリームを一般的な専門店の1・2倍使ってて、1枚340円からとお手頃なんです」
それにしても、なぜ飲食店を?
「実は、R―1で優勝したものの、忙しかったのは半年ほど。その後はジリ貧で、イベント司会やライブが月にそれぞれ数回、テレビ・ラジオはパラパラ。正直、生活のために貯金を崩すこともあり、2人の息子を抱えて将来に不安を感じていました。いっそ芸人をやめて実家に帰ろうか、と」
そんな時に知人の紹介で本社の吉田社長と知り合い、3年前に開業を勧められた。
「迷いました。下積み時代に飲食店でアルバイトをしたことはありましたが、経営者になるのとでは大違いですから。それと、『R―1チャンピオンなのに副業?』って陰口も心配で……。決断まで8カ月ほどかかりましたね」
背中を押したのは、子供たちと、交際4カ月で“押せ押せ結婚”した愛妻の笑顔だった。
「生活の安定が家族円満、ネタ作りにも好影響を及ぼすと思いました。それで貯金をはたき、不足分は日本政策金融公庫から借金。17年11月に小田原市内のショッピングモール『ダイナシティ小田原』に小田原店を出店したんです」
それが大正解。スタッフにも恵まれ、当初から売り上げは好調だという。
「その勢いを借りて2店舗目に挑戦。借金は想定より早く返せそうです」
■チャンピオンになるまで芸人としては月収数万円
さて、名古屋市生まれのやまもとさんは、コメディアンを目指して23歳だった1998年に上京。だが、なかなか芽が出なかった。
「ちょっと日の目を見たのが07年。R―1で初めて決勝に進出したんです。そのおかげでワイドショー『午後は○○おもいッきりテレビ』(日本テレビ系)のリポーターの仕事も舞い込んだのですが、長続きしなかったですね」
コメディアン一本立ちを夢見て、東貴博プロデュースの演劇ユニット「FIRE HIP’s(ファイアヒップス)」のメンバーになったのは09年。
以来、毎年夏の公演と冬のトークショーにレギュラー出演している。
そして7年ぶりにR―1決勝ステージに進んだ14年3月。外国人留学生に変な日本語を教えて勘違いするネタで、晴れてチャンピオンに輝いた。
「上京から16年、結婚して4年、長男は2歳5カ月。そして翌月に次男が生まれる直前でした。3種類のアルバイトを掛け持ちしてましたから、生活に困ってはいませんでしたが、芸人としては月収数万円。それだけに本当にうれしかった」
賞金500万円は、次男の出産費用と転居に使い、残りは貯金した。
「下積みが長かったから、パーッと派手にはできません。ただ、自分と支えてくれた妻へのご褒美に、1LDKから3LDKのマンションへ引っ越しました」
一時的にバラエティー番組を賑わせたものの、「瞬発力が必要なトーク番組は苦手。作り込んだコントが好き」。次第にテレビから遠ざかった。
「とはいっても、本業は芸人。当然、今でもネタは作ってますよ。クレープだけじゃないんです。アハハハ」
都内で親子4人暮らしだ。
(取材・文=高鍬真之)
提供元:Yahooニュース