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桂南光、師弟ともに繊細で自分に嘘がつけない性分 爆笑王・桂枝雀を継ぐ男たち(夕刊フジ)

【没後20年 爆笑王・桂枝雀を継ぐ男たち】
「師匠が落語家だったから落語家になったけど、師匠が大工やったら大工になっていた」。それほど桂枝雀にほれ込んだ。高校3年の折、深夜ラジオから聞こえてきた枝雀(当時・桂小米)の声と深い哲学的内容に吸い寄せられ、いきなり「弟子にしてください」と頼んだ。枝雀の落語はその後に聞く。「やっぱりこの人だ」と思った。
桂南光(67)は1970年3月に入門。独身だった師匠の下宿先に下宿する内弟子修業で、師の結婚後も共に暮らし2年間で20ものネタを教えてもらった。若手の頃からラジオやテレビで活躍し、率直な物言いと愛嬌のある風貌で「べかちゃん」と呼ばれ愛された。
「売れたい」「目立ちたい」という普通の芸人ならば誰でも抱くギラつきを感じさせない。力のある人にもベンチャラを言わない。好き嫌いがはっきりし、落語に集中するために心地よいマイペースであろうとする。枝雀も同様だった。師弟ともに自分に嘘がつけない性分であり繊細なのだ。
上方を代表する本格派として信頼度も抜群。入門14年目に旧サンケイホールで独演会を開催、93年に南光を襲名後はさらにスケール感のある巧者ぶりを発揮する。米朝一門の大看板だが、こじんまりした小屋で客に語りかける会を好み、動楽亭などで「南光亭」を続けている。
8人の直弟子はさまざまに枝雀を継ぐが、南光は噺家のあり方と同時に落語の創意工夫にもあらゆる噺を料理して面白さを倍加させた枝雀の流儀を感じさせる。わかりやすさと人物の実感、情景と気配が立ち上がるリアルさと詩情-。たとえば「らくだ」では、紙屑屋らが遺体を担いで火屋へ向かう途中、夜空に流れ星が走り抜けるのを見て、らくだの成仏を思う終わり方。師匠なら、といつも考える。芯にあるのは枝雀いわく「落語とは、生きててよかったなあと思ってもらうもの」という優しさだろうか。
「萬事気嫌よく」と書かれた師匠の手拭いをお守りのように大事にしている。99年に亡くなった時、噺家をやめようと思ったほどショックを受けた。しかし、29年間を共にすごした南光は今も確かに枝雀と生きているのだ。=おわり(やまだりよこ)
■桂南光(かつら・なんこう) 1951年12月8日生まれ、67歳。大阪府出身。70年3月、桂枝雀に入門し、桂べかこを名乗る。関西テレビのローカル生番組『痛快!エブリデイ』の司会は15年続いた。93年に三代目桂南光を襲名した。
提供元:Yahooニュース