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今の新喜劇スタイル生んだ…木村進さん壮絶人生 演芸関係者「寛平さんにとって、木村さんは恩人」(夕刊フジ)

19日に腎不全のため68歳で死去した往年の喜劇役者、木村進さん。23歳の若さで吉本新喜劇の座長となり、関西ではアイドル的な人気を得たが、病に倒れ、表舞台からは遠ざかっていた。
1970年代から80年代にかけて、名コンビとして活躍したお笑いタレントの間寛平(69)は21日、木村さんの通夜に弔問に訪れ、「僕がこうして長いことやれているのは進ちゃんのおかげ」としのんだ。
波乱に満ちた人生だった。喜劇役者の二代目博多淡海を父にもち、吉本に移籍後も早々に頭角を現し、23歳で座長に就任。多いときには月に60本もの番組に出演するなど、関西での人気がすさまじかった。
現在は新喜劇の重鎮となった帯谷孝史(69)の“横顔がポットに似ている”という関西ではおなじみのギャグも木村さんが生みの親だ。帯谷はMBSの吉本新喜劇のサイトでのインタビューで「ボケもでき、2枚目もでき、ツッコミもでき、ほんまに惜しいです。あの人の芸が半分でいいから欲しかったですよ」と木村さんの才能を振り返っている。
木村さんは87年、三代目淡海を襲名するも、翌88年の襲名披露全国公演中に脳内出血で倒れ、左半身が不自由となって車いす生活に。長年にわたって浴びるように酒を飲むなどの不摂生がたたったのだ。私生活では元日活ロマンポルノの女優だった風間舞子と結婚するも離婚。表舞台から遠ざかることになる。まさに昭和の喜劇人を体現したかのような人生だ。
「寛平さんは木村さんが退団した後も年に3回は会って身の回りの世話をしていたそうです。寛平さんにとって、木村さんは今の地位を築くことになった恩人ともいっても過言ではないからです」と演芸関係者。
「それまでの新喜劇は花紀京さんや岡八郎さん、船場太郎さんら演技派が中心の喜劇だったが、木村さんの登場がギャグやキャラクターで笑いを積み重ねていく現在の新喜劇のスタイルを生んだといえる。その最たる存在である寛平さんも木村さんがいなければ輝くことはなかっただろう」と演芸評論家、今村荘三氏。
提供元:Yahooニュース