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【樋口尚文 銀幕の個性派たち】風祭ゆき、銀幕の闇に開花した麗人(後篇)(ぴあ)

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映画をひと味もふた味も変える魅惑のスパイス、そんな個性的俳優たちを、映画評論家で映画監督でもある樋口尚文さんに、おひとりずつフィーチャーして、その魅力を語っていただきます(ぴあアプリ「樋口尚文 銀幕の個性派たち」より転載)
【全ての写真】風祭ゆきさんご提供の写真など1980年、東映の下番線向けのポルノ『聖女地獄絵図』に出演を請われて迷っていた風祭ゆきは、所属していた事務所「植物園」の社長・大島瑛子の実兄である大島渚監督から「女優たるもの成人映画であれ何であれ主役を張るべきです。鶏口となるも牛後となるなかれ、ですよ。セックス・シーンなんて体操だと思えばいいんです」とアドバイスされた。
風祭ゆきは、本名の吉田さより名義で1972年頃からはNHKのドラマ『中学生日記』などに出演し始めて、1974年の人気ドラマ『非情のライセンス』でもマスコット的なレギュラーをつとめていたが、前回ふれた新藤兼人監督『竹山ひとり旅』のような例外をのぞいては整い過ぎた美貌ゆえか個性的な役には恵まれなかった。そしてこの東映ポルノのオファーが来た時はすでに26歳、女優として挑戦をするなら今、という時期であった。
大島監督の言葉に促されて風祭ゆきは『聖女地獄絵図』に出演したが、そもそも公開規模も限られていたのでこれが評判になることはなかった。ところが、この映画に出演したことで前年に先んじて声をかけていた日活から「これに出るならなぜウチは断ったのですか」と異議申し立てかたがた、もう一度真摯なラブコールがあった。自分の逡巡を詫びた風祭ゆきは、かくして1980年8月公開の小原宏裕監督『赤い通り雨』で日活ロマンポルノの新スターに迎えられる。ちなみに「風祭ゆき」という芸名は、1978年のドラマ『江戸の旋風IV』あたりから名乗り出しているが、たとえば『聖女地獄絵図』の時は何か慮りもあったのか「吉田さより」に戻したりしていた。しかし、日活ロマンポルノを引き受けてからは、堂々この芸名が変わることはなかった。
風祭ゆきの突出した美貌、そして据わった演技力、性的な表現に対する思いきりのよさは、たちどころに多くのファンの心をつかみ、撮影所内でも評判はうなぎのぼりであった。そして日活に登場して間もない1980年10月公開の主演作、小沼勝監督『妻たちの性体験 夫の眼の前で、今…』はロマンポルノの枠を超え、この年の日本映画を代表する一本とさえ目されて、風祭の代表作のひとつとなった。かねて大島渚監督も「日活には小沼勝という優れた作家がいる」と風祭に語っていたというが、すでにさまざまな現場を経験してきた風祭は、小沼監督の粘りに粘る演出にきっぷよく応えていた。
倦怠期のリッチな夫婦の性をめぐる詭計を描く物語だが、終盤の暴漢たちに蹂躙される妻を見ながら夫が喜悦の極みに達する倒錯的なシーンは、その描写の粘着的な濃密さが語り草となっている。だが、風祭に尋ねると、ロマンポルノの現場はアフレコなので、ついつい要領を得ず力が入ってしまう若い俳優たちに「痛い!はい右!はい左!」と風祭自身も号令をかけながらこの場面を創っていたという。風祭は日活の現場スタッフにはひじょうに大切にしてもらえたといい、主演女優を美しく撮るために工夫を重ねるさまを意気に感じて、まさに体を張った演技で応えた。
こうした風祭が隙間なく挑んだ1981年の根岸吉太郎監督『女教師 汚れた放課後』もロマンポルノ屈指の傑作となった。風祭扮する女教師が強姦され、その犯人として名指しされた三谷昇扮する男は転落の人生を歩む。だが、それが誤りだったことを詫びる風祭に、底辺まで落ちた三谷はひたすら優しい。犬吠埼近くの凍てついた浜辺で文字通り人生の辺境をさまよう三谷を母性的に包む風祭の熱演がしみた。加えて1982年の武田一成監督『闇に抱かれて』は三宅島の荒涼たる風景を舞台に、男女の三角関係が意外なかたちにずれてゆく面白さをペーソスとともに描き、風祭はしなやかに浮遊するヒロインを演じて鮮やかだった。同年の武田一成監督『恥辱の部屋』や鈴木潤一監督『女教師狩り』など風祭は泥臭い日常から遊離した軽やかさを感じさせるヒロインが似合った。
提供元:Yahooニュース

