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「ミスター平凡」の称号を手に入れ“演歌歌手の決定版”として期待を集める【芸能界と格闘技界 その深淵】(日刊ゲンダイDIGITAL)

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【芸能界と格闘技界 その深淵】#66
五木ひろしの光と影(2)
◇ ◇ ◇
芸能誌「月刊平凡」(1964年8月号)に「第15回コロムビア全国歌謡コンクール 7月上旬から地区予選はじまる!」という告知記事が載っている。
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《コロムビア専属歌手「歌うミス・ミスター平凡」を選出する、第15回“コロムビア全国歌謡コンクール”の予選がいよいよ7月上旬からはじまります。下の規定をよくごらんのうえ、ふるってご参加ください》とある。参加条件は年齢、職業を問わず誰にでも門戸を開き、参加料は「一人一曲につき三〇〇円」(現在の価格で約1500円)。8月6日の函館予選を皮切りに全国各地で開催される地区予選を勝ち抜くと、9月8日に日比谷公会堂で行われる「決戦大会」出場の切符を得る。そこで男女1人ずつ選ばれた優勝者には豪華賞品と「歌うミス・ミスター平凡」の称号、そしてプロ歌手としてデビューする権利が与えられる。
前年度の「ミス・ミスター平凡」は、都はるみと千波竜一。特に、「困るのことヨ」でデビューした都はるみは、3曲目のシングル「アンコ椿は恋の花」が100万枚を超えるミリオンヒットとなり、新人にして早くもスターの座を射止めていた。また、58年のコンクールで優勝した榊原貴代子も、芸名を青山和子に改名し「愛と死をみつめて」をリリースすると、これが空前の大ヒット。64年の「日本レコード大賞」を受賞していた。つまり、このコンクールで優勝することは、スターの切符を手にしたも同然だったのだ。
この頃、コロムビア専属作曲家の上原げんとの門下生だった16歳の松山まさるがコロムビアの主催するコンクールにエントリーしたのは、ごく自然なことだったのだろう。立場的に一般参加の素人より有利だったのは言うにたがわず、師・上原げんとの推薦もあったはずだ。そうでなくてもこの時期、ヒット曲を連発していた上原げんとはコロムビアにとってなくてはならない存在だった。その配慮は当然あったに違いない。
コンクールに出場した松山まさるは順調に予選を勝ち進み、日比谷公会堂での決戦大会に出場。そこでも難なく勝ち抜き、この年の「コロムビア全国歌謡コンクール」を制した。「ミス平凡」の東ひかりと並んで「ミスター平凡」の称号を手にしたのだ。記事は次のように紹介している。
《青山和子・都はるみさんたちを追って 歌う「ミス・ミスター平凡デビュー」(中略)
「歌うミスター平凡」の松山まさるさんは、コロムビアが演歌調の歌手の決定版として、もっとも期待している歌手です。げんざい明大付属中野高校に在学中で、歌は上原げんと先生について勉強していました。「これからは、歌と学校でたいへんでしょうけど、やるからには立派な歌手になりたいです。大先輩の村田英雄さんを目標に歌いまくりたいです」と、演歌調で勝負する松山さんは、ハリキっていました》(「月刊平凡」65年7月号)
そして65年5月、「新宿駅から」(作詞・古野哲也、作曲・上原げんと)で念願のデビュー。スターの座は目前まで来ていた。誰もがそう思った。しかし2カ月後、松山まさるの運命は急変するのである。=つづく
(細田昌志/ノンフィクション作家)
提供元:Yahooニュース

