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【令和の私へ】爆笑問題が超マジに考える!平成と令和の“笑問題”(サンケイスポーツ)

著名人が新時代・令和への誓いを語る大型企画の最終回は、お笑いコンビ、爆笑問題の太田光(53)と田中裕二(54)が登場。爆問は平成が始まる前年の1988年に結成。世相を風刺する時事ネタ漫才で平成を駆け抜け、東日本大震災なども取り上げた。テレビやラジオなど計10本のレギュラーを抱える人気者が、お笑いの“未来予想図”を語り合った。
田中 平成から令和にかけてはNHK生特番、その後はすぐに移動してTBSラジオに出演。慌ただしかったね。
太田 田中は移動時間短縮のため、渋谷(NHK)から赤坂(TBS)までドローンに乗って移動したってホント?
田中 そこまで小っちゃくねぇ~し(154センチ)。けど俺たち、振り返ると平成をまるまる漫才にしてきたよね。
太田 平成は笑いにしづらいこともたくさんあった。一番難しかったのは東日本大震災。阪神大震災やオウム事件もライブでネタにしたけど、東日本大震災は自粛ムードがすごかった。それは仕方ないんだけどね。
田中 あのときは携帯がつながりにくくなったり、CMが公共広告になったり。ネタにするなら、そんな全国の人たちが同時に体験した部分だと考えた。
太田 ネタをやらなければ「爆問はひよった」と言われるし、やっても批判される。どっちにしても駄目なら、やっちゃえって。あと、ネタをやらないことで世の中に流れる深刻さがさらに増しちゃうとも思った。
田中 当時のテレビで東日本大震災の漫才をやったのは俺たちくらい。
太田 オンエアのネタでは、俺のボケが不謹慎だからって(公共広告のフレーズ)「ぽぽぽぽ~ん」の声にすり替わってない?とか言ってた。被災地でウケたのはコロッケさん。あのものまねは悪意がないとは言えないけど(笑)、人を傷つけないんだよね。
田中 ネタの選択は世の中の雰囲気によって変わってくる。1996年から始めたタイタンライブ(現タイタンシネマライブ)とか、定期的にお客さんに接すると、それがよく分かる。
太田 東日本大震災の頃は、お客さんの心が固まっていたように感じた。あの状況で、不倫だ何だって漫才をやっても響かない。
田中 平成の変化としては、下ネタがウケにくくなったし、オカマネタは、昔は無条件でウケたけど、今は笑ってはいけないという雰囲気はある。令和のお笑いはどうなるかなぁ?
太田 ネット世界の成熟が鍵だと思う。書き込みの攻撃性がエスカレートする中、次世代の人たちはそれに飽きて冷ややかになるのでは。そうなると、お笑いではウケるかどうかのギリギリのラインを狙いつつ、表現をもっと細やかにしないといけない。俺自身、言葉狩りは大嫌いだけど、ただ単にとんがるだけでは芸は衰退する。
田中 平成のテレビは結局、ビッグ3(ビートたけし、明石家さんま、タモリ)の時代。
太田 「オレたちひょうきん族」でフリートーク風の崩したコントが生まれ、その流れが続いている。俺としては、作品性の高いコントを見せた「シャボン玉ホリデー」みたいな番組をやりたい。今はテレビをバカにするヤツもいるけど、やっぱり大衆のものだと思うし、テレビにこだわるという覚悟はある。
田中 令和でも漫才は続けたいね。
太田 もちろん。新時代とか関係なく、何も考えずに気軽に笑ってもらえる漫才というか、疲れたサラリーマンにも届く笑いを目指したいね。以前、(1960年代の東京を代表する漫才師である)Wけんじ師匠を見たときにおもしろくてね。ジジイ2人がくだらないネタをやるんだけど、俺たちのジジイ漫才もさまになるかなって。だから、お客さんが来なくなるまで続けようと思う。あとはケーシー高峰さん(先月8日に85歳で死去)の継承…。
田中 だから!ケーシーさんはお色気漫談の下ネタだから、このご時世は気をつけなさいって! (おわり)
■爆笑問題(ばくしょうもんだい)
日大芸術学部の同期だった埼玉県出身の太田光(1965年5月13日生まれ)と東京都出身の田中裕二(同年1月10日生まれ)が88年に結成した。同年のフジテレビ系「笑いの殿堂」でテレビデビューし、93年にNHK新人演芸大賞を受賞。翌94年の同局系「タモリのSuperボキャブラ天国」でブレーク。現在はTBS系「サンデージャポン」などレギュラー10本に出演している。
提供元:Yahooニュース