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フリーアナ岩瀬惠子さんのデビューは「カルガモ親子」のリポートだった(日刊ゲンダイDIGITAL)

80~90年代にフジテレビの女子アナとして活躍し、現在はフリーでラジオを中心に活動する岩瀬惠子さん(55)。女子アナデビューの“その日”からの新人時代は、「変な格好はイヤだ」「ワイドショーはイヤだ」とワガママな振る舞いをしていたらしく……。
◇ ◇ ◇
アナウンサーとしての思い出の“その日”といえば、デビューの日ですね。私は「アナウンサーになりたい!」と強く思っていたわけじゃなかったんです。テレビ局は、結婚する前に2~3年勤める仕事としてゆるく考えて受けました。
1986年はまだ女子アナ人気は高くなくて、数百人受けて2人とかの倍率。何千人も受けるのは1期下の中井美穂ちゃんの頃からじゃないでしょうか。
4月に入社し、デビューが6月。現在の「めざましテレビ」枠の朝番組「FNNモーニングコール」の中継でした。
“皇居のお堀にカルガモが現れた!”という話題のさなか。マスコミが大勢集まり、同期入社の阿部知代アナが月曜に現場に行きましたが、カルガモはお堀を渡らず、ちょっと動いただけ。翌火曜は、いよいよ私。
でも、現場に入る前の早朝にカルガモ親子は渡ってしまった(笑い)。
「おはようございます。話題のカルガモは、もう皇居に引っ越しちゃいました……」というリポートが私のデビューの瞬間。
他に話すことがないので、現場にいた1期上の記者で、後に「スーパータイム」を担当する、小田多恵子さんに私がインタビューすることになりました。
■「お堀」と言えず「おひょり」と
すごく敬語で話を聞いたので、スタッフから「身内(同じ局)なのに、そんなに敬語を使うな!」と叱られ、小雨だったので自前のカワイイ花柄の傘をさしていたら、「傘に視聴者の目がいくだろ!」と叱られ、「お堀」と言えず、「おひょり」と言って叱られて。散々な“その日”でした。
先輩アナからは、しばらくの間「おひょり」と呼ばれてましたし(笑い)。
本当にやる気のない新人アナだったんです。バラエティー番組がやりたくなくて……。
■水着も短パンも「イヤ」と拒否
だれも知らないと思いますが、夕方の帯番組「正義の味方株式会社」に出てました。
だけど、若い女の子に水着やブルマーでリポートさせる当時のフジテレビ式の作り方がイヤで、アナウンス部の露木茂さんに「番組をやめたい」と言いました。「番組は3カ月単位で考えるからやめられない」と言われ、渋々やっていた期間も「水着になるのはイヤ」「短パンもイヤ」と拒み続けました。
「3時のあなた」の後枠の「タイム3」に抜擢されても“ブラ下がり”で芸能人にマイクを向けて質問するのに抵抗があり、メインMCの須田(哲夫)さんに「やめたい」と言いましたし、「笑っていいとも!増刊号」で緑の全身タイツ姿にさせられそうになった時は「今すぐ会社を辞めます」と言ってモメました。
「わがままなヤツ」とレッテルを貼られていたと思います。
それなのに、12年ほどフジにいました(笑い)。
その後に担当した料理コーナーがある情報番組や、企業の方に話を聞く番組は自分に合っていたし、アナウンス室の雰囲気が大好きだったから。
■何をやっても「やめたい」と言っていた私が…
「女性ばかりで仲が悪いでしょ?」と聞かれましたが、本当に仲良くて居心地が良かった。
同期だった阿部知代アナをはじめ、先輩たちとも会います。後輩は期の近い中井美穂アナ、八木亜希子アナ、大坪千夏アナ、もう少し下だと木佐彩子アナ、武田祐子アナとは今でも結構、会いますね。
フリーに転身して21年がたち、今やっているラジオ番組は7年。何をやってもすぐ「やめたい」と言っていた私(笑い)が番組を続けられるようになったのは、フジでの幾多の経験があるからなんです。
カルガモにフラれた“その日”から、若いアナ時代は大変でしたけど、いい時代にいい会社で仕事ができたなぁと思っています。
(聞き手=松野大介)
▽いわせ・けいこ 1963年9月、東京都生まれ。86年にフジテレビ入社。97年に退社しフリーに。現在「岩瀬惠子のスマートNEWS」(ラジオ日本)パーソナリティー。
提供元:Yahooニュース