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飯野矢住代と俳優Iとの間に結婚話が一度も出なかった理由【芸能界と格闘技界 その深淵】(日刊ゲンダイDIGITAL)

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【芸能界と格闘技界 その深淵】#61
飯野矢住代誕生秘話(24)
◇ ◇ ◇
俳優Iと付き合い始めた飯野矢住代は、週に1度は必ずIの自宅に泊まっていった。不思議なのは、結婚話が一度も出なかったことである。バンドマン時代のジョニー吉長にしろ、歌手Sにしろ、付き合ってすぐ結婚を意識したという矢住代だったが、Iとはそうはならなかったという。あくまでもIの証言によるものだが、「週刊平凡」(1972年1月20日号)もこう書く。
飯野矢住代誕生秘話<13>「姫」を辞めたはずが身重の体で高田馬場のスナックに
《とすれば、つねに結婚を夢見て生きた飯野矢住代という女にとって、Iという男はなんだったのだろう。ただ、孤独だった彼女の心のうえを通り過ぎていっただけの、ひとりの通過者だったのか。(中略)母の結婚生活を目のあたりに見ているために、矢住代はひといちばい、しあわせな結婚にあこがれた》
ただ、矢住代がすぐ結婚を意識しなかったのは、別の理由があったとみるべきだろう。母の辰子が持病の結核と心臓病、ぜんそくで清瀬市内の病院に入院していたからだ。病室を訪ねる矢住代の胸には、いつも豪華な見舞いの品々が抱かれていたという。ふぐ刺し、茶巾寿司、純白のシクラメン……。母子はたわいもない話で笑い合った。そして時間が来ると、矢住代は静かに立ち去る。そんな毎日を送りながら、結婚を考える余裕なども、なかったのかもしれない。
「姫」のマダム、山口洋子が後年、飯野矢住代に辛辣だったことはすでに述べた。自伝によると「最後に会った」のは1971年の夏ということになっている。
《そのときはもう「姫」には居なくて、金でがんじがらめになりながら、あちこちの店を転々としていた。当の本人が数日前、どうした加減かひょっこり朝顔市で買った鉢をぶら下げて店に現れた。お中元のかわり、ママにはいろいろお世話をかけたからと、かたい蕾に小さな風鈴のついた鉢をとんと眼の前に置いた。(中略)藍染に蜻蛉の柄の浴衣を着ていた》(「ザ・ラスト・ワルツ『姫』という酒場」山口洋子著/文春文庫)
いかにも、直木賞作家・山口洋子らしい筆致と言うしかないのだが、「週刊平凡」によると、1971年の11月から12月にかけて、矢住代は母の見舞いに行きながら「姫」にも出勤していたとある。母の入院は11月。費用は当然、矢住代が捻出したはずだ。秋の時点で「姫」に在籍していたと考えるべきかもしれない。山口洋子は事実を述べたわけではなさそうだが、矢住代が「金でがんじがらめ」になっていたのは、遠からず間違っていないのかもしれない。入院費とは思いのほか高くつくものである。
ともあれ、1971年の晩秋から師走にかけて、飯野矢住代の姿は清瀬市の病院と、銀座の「姫」、俳優Iの自宅にあった。その3カ所だけが矢住代の居場所だった。
「正月にはメリーを連れて、一緒に熱海に行こうね」と、伏せている母に話しかけていたという。「メリー」とは飼っていた愛犬の名前で、メリー喜多川にちなんで命名したという説がもっぱらである。
しかし、この願いがかなえられることはなかった。そして、運命の12月28日を迎えるのである。 =つづく
(細田昌志/ノンフィクション作家)
提供元:Yahooニュース

