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山口洋子の飯野矢住代評「せっかく美の神に祝福されながら根性は二流だ」【芸能界と格闘技界 その深淵】(日刊ゲンダイDIGITAL)

【芸能界と格闘技界 その深淵】#60

 飯野矢住代誕生秘話(23)

 ◇  ◇  ◇

 歌手Sと別れた飯野矢住代は、それ以前から「姫」を休みがちになっていたという。当時の芸能誌によると、「ホステスという仕事自体が嫌になった」とある。確かに自由奔放な矢住代にとって、客に媚を売るホステスという仕事は窮屈で仕方なかったのかもしれない。その真意を知ってか知らずか、山口洋子の飯野矢住代評は辛辣である。

飯野矢住代誕生秘話<22>周囲に歓迎されなかったスター歌手Sとの儚い恋

《矢住代はせっかく美の神に祝福されて生まれてきながら、その根性は二流だ。精神が二流の女には所詮二流の道しかないのが、酒場女の行く末と運命である。おそらく矢住代は話題は集めても、金も客も人気も集められないマネキン人形の存在で終わるだろう》(「ザ・ラスト・ワルツ『姫』という酒場」山口洋子著/文春文庫)

 そんな飯野矢住代にひとつの再会があった。俳優Iである。出会いは8年前、当時、人気子役だったIはNHKドラマ「次郎物語」で主演を張っていた。このとき14歳。1歳下の矢住代がプロのモデルになる前である。出会いのいきさつを芸能誌からひく。

《当時彼は中学2年、彼女が1年だった。子役として彼が出演した「次郎物語」は、東京・千代田区内幸町の「日比谷スタジオ」で撮影されていたが、このスタジオに、よく現れる少女がいた。それが彼女だった。小さなスターと、それにあこがれる幼いファン……》(「週刊平凡」1972年1月20日号)

 とはいえ、そこから交際に発展したわけではまったくない。Iのコメントがある。

《かわいい少女でした。でも仕事が終わると、お互いに話もせずに家へ帰りました。「次郎物語」が終わったあと、3年くらいは会うこともなかったんですが、(略)それからしばらくたって、彼女がミス・ユニバースになったテレビを見ました。しかし住所もわからないし、お祝いの電話もかけませんでした》(同)

 それがひょんなことから再会する。1971年7月、場所は渋谷のスナック「深海魚」。ここから交際が始まった。「再会がきっかけ」とIは言うが、今までの矢住代のパターンを見る限り、おそらく初対面でも意気投合したのではないか。いかなる交際だったのか、再びIのコメントをひいてみる。

《彼女の家へボクが行ったことはいちどもありませんが、ボクの部屋へ、彼女は週にいちどくらいずつ遊びに来ました。ボクは乗馬が好きなので、よく誘って出かけました。部屋でふたりでいるときは、よく映画の話、文学の話をしたものです》(同)

 Iが矢住代の自宅に行かなかったのは、この頃、矢住代が母親と同居していたからだろう。「週刊平凡」は「Iと彼女の間に、結婚の話は一度も出なかったし、二人ともその気はなかった」と断じているが、あくまでもIの証言に立ってのもので、実際はどうかわからない。

「歴史にifはない」と言うが、「歴史はifを重ねることで検証されていくもの」というのが筆者の持論である。もし、飯野矢住代がこのとき一人暮らしをしていて、ジョニー吉長がそうだったように、Iの方が矢住代の自宅に入り浸る関係だったら、矢住代の未来は確実に変わっていた。それは間違いないと言ってよく、同時に暗澹たる気分に襲われるのである。 (つづく)

(細田昌志/ノンフィクション作家)

提供元:Yahooニュース
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