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南果歩から渡辺謙の“恨み節”は一度も聞いたことがない(日刊ゲンダイDIGITAL)

青山佳裕【平成芸能界 直撃の30年史】
平成の30余年、あまたの結婚離婚劇が繰り広げられた。南果歩もそう。平成7(1995)年にミュージシャンで作家の辻仁成と結婚し長男に恵まれるも、わずか5年で離婚。辻の不倫が原因と報じられた。
そのまた5年後、平成15(2003)年1月に放送されたテレビドラマでの共演で渡辺謙と知り合い、約2年の交際期間を経て、再婚。出会った当時、渡辺は元夫人と離婚裁判中だった。厳密には不倫関係でのスタートだったが、離婚成立を待って入籍した。連名でのファクスには「互いに荒波を越えてまいりましたが、今、穏やかで豊かな時を迎えることができました」とつづられていた。
交際中、1月20日の南の誕生日に渡辺謙は東京・四谷の、迎賓館近くにあるフランス料理「オテル・ドゥ・ミクニ」を借り切ってパーティーを開いた。南の母、長男の面倒もよく見て、なによりも南への思いを行動で見せ、人前でもはばかることがない。
結婚10年目には東京の一等地に推定6億円と報じられる豪邸を建て、南と南の母と同居。この翌年、南に乳がんが見つかり手術を受けると、結婚10周年パーティーを開いた。闘病中の南は、「ウェディングドレスひっぱり出して、ゲストにサプライズ! 人生ってまだまだ面白いことが待ってますね!」とSNSで幸せのコメントを躍らせた。
その渡辺に、不倫疑惑が報じられたのが、パーティーから約1年後。相手は年下の宝石デザイナーで、渡辺は新居を後にしていた。
赤坂のケーキ屋から出てきた南を直撃すると、「ひぇえ」と驚かれた。
「いまはまだお答えできないんです」
細い声で繰り返す南は心労か、少しやつれて見えた。渡辺は不倫相手に「子どもを産んでくれ」「女房とは別れる」などと言ったとの報道もあり、動揺していたのだろう。
「これも、あれも、人生を振り返って、どこまで腹をくくれるか」
しばらくして、南はNHKの主演ドラマ「定年女子」の会見でそんな意味深コメントをした。
「心身ともに落ち込んでいた」が、箱根駅伝を例に人生も後半戦で同じ景色も違って見えるとし、「いかに立て直すか」と前を向いてみせた。
そして、平成30(18)年に南は再婚にもピリオドを打った。
「これからは曇りのない笑顔で、私らしく歩んで参りたいと思います」とのコメントを発表した。
この間、あるときは仕事先のホテルで、または豪邸で、南を直撃取材した。南のお母さんは南とうり二つで、ご高齢とは思えない若々しさを保っておられる。それで南と間違え、何度も声を掛けてしまった。
「娘に聞いてください」
そうおっしゃられて、「すみません」と頭を下げる。そんなこちらの不勉強にもかかわらず、南は取材に応じてくれるときはこちらと目をそらすことなく、質問内容をよく聞いて理解した上で返答してくれた。あるときは庭いじりが終わって、買い物に出かけた後で話してくれた。
そこに芯の強さというようなものが感じられた。今、目の前で起きてしまったことは自分のありようの結果だと潔く受け止めて、誰かのせいにしたりしない。渡辺謙とのことも、恨み節や悪口を聞いたことは一度もない。乳がんとのダブルパンチで、泣き崩れて、普通ならどうにかなってしまってもおかしくないような場面だったろうが、そういうところは一切見せず、気丈に振る舞ってきたし、今もそれは変わらない。まだ50代。新しい時代にもう一花咲かせてくれそうだ。
(聞き手=長昭彦/日刊ゲンダイ)
あおやま・よしひろ▽1954年、東京生まれ。美空ひばりの時代から取材歴40年。現在も週刊誌などで活躍するベテラン直撃記者。
提供元:Yahooニュース