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「姫」のスターホステス 大門節江と飯野矢住代は生き方もキャラも好対照だった【芸能界と格闘技界 その深淵】(日刊ゲンダイDIGITAL)

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【芸能界と格闘技界 その深淵】
飯野矢住代誕生秘話(20)
◇ ◇ ◇
ミス・ユニバース日本代表にして「姫」のナンバーワンホステス、飯野矢住代と若いバンドマンの別れ話は、すぐにその界隈に広まった。情報を嗅ぎつけた男が次々と矢住代の前に現れた。青年実業家、芸能人、芸術家、テレビマン……。中には愛人契約をチラつかせる財界人もいた。
飯野矢住代誕生秘話<12>同棲から妊娠…ジャニーズ事務所は解雇、ホステス業は産休に
炭鉱経営者の父と芸者の母の私生児として生まれた矢住代は、母のように囲われ者になる気などさらさらなかった。パトロンの申し出すら断った。同棲生活を解消し、独り身となったことで自由を謳歌(おうか)していたのだ。言い寄る男への牽制のつもりか、次のような発言をしている。
「今度、誰かを好きになったときは、ほんとうに結婚するときだと思うんです。サラリーマンでも八百屋さんでも魚屋さんでもいいから、私より大人で、しっかりしている人に頼って、平凡な普通の奥さんになりたい」(「主婦と生活」1970年11月号)
この年、あるムード歌謡がヒットチャートを席巻していた。内山田洋とクール・ファイブの歌う「噂の女」である。作詞は山口洋子。「姫」のマダムと作詞家を兼業していた彼女にとって、初めての大ヒット曲となった。芸能誌の取材で山口洋子は「この曲にはモデルがいる」と、「姫」のホステスで梅宮辰夫と結婚して半年で離婚、「姫」に舞い戻った大門節江の名を挙げている。
「あの歌は、節恵(※源氏名は節恵)が梅宮さんと別れてミセに戻ってきた頃に書いたものなの。女にとっては大変なことだし、あの子にも言いたいこと、グチりたいことがあったでしょうけど、それをじっとこらえて、毎日笑顔でミセに出ていました。そのイメージで書いたのが『噂の女』で、彼女にもその時点で、“あなたがモデルなのよ”と言ったことがあります」(「週刊女性」1970年7月19日号)
そうは言うが、バンドマンと破局して、やはり「姫」に復帰した飯野矢住代のことは無関係だったのだろうか。
「噂の女」のリリースは1970年7月5日。時期的に矢住代の件と重なるからだ。大門節江と飯野矢住代。「姫」が誇る“スターホステス”の両者は、生き方もキャラクターも好対照である。
1945年8月、広島市生まれの大門節江は、爆心地から程近い場所で胎内被爆児として生まれた。20歳のとき、東京で美容師修業をしていた弟の看病で数日滞在したのが初めての上京。東京最後の夜に父親の知人で郵政大臣や参院副議長を歴任した政治家、平井太郎(平井卓也衆院議員の祖父)と食事をした後、連れて行かれたのが「姫」だった。そこで山口洋子を紹介され、スカウトされたのだ。
かくして、「姫」のホステスとなった大門節江は、並み居る先輩ホステスを抜き去りナンバーワンの座に就く。
同時にそれは銀座の頂点を意味した。その節江を押しのけ、新たなナンバーワンに取って代わったのが飯野矢住代だった。
この経緯だけ眺めると、2人の間は穏やかならぬものに映るが、「そんなことなかった」と故郷の広島市内で余生を過ごす大門節江は、筆者の問いに、すげなく言った。
「何より顧客がかぶらなかったしね。私の方は年配のお客さんが多かったけど、向こうは若い人がほとんど。だから彼女は……自然とそういうノリになっちゃったのかもね」 (つづく)
(細田昌志/ノンフィクション作家)
提供元:Yahooニュース

