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「カラオケご一緒にどうですか?」ドン底の華原朋美に感じた気立ての良さ(日刊ゲンダイDIGITAL)
【平成芸能界 直撃の30年史】(4)
篠原涼子の「恋しさとせつなさと心強さと」の大ヒットが、小室時代の幕開けだった。平成6(1994)年7月にリリースされた当初は、こんな声がマスコミ内にはあった。
「すごい再生工場だなあ」
当時、篠原はアイドルグループの東京パフォーマンスドールのメンバーにして、バラエティーやドラマにも出演していたものの、いまひとつパッとしないでいた。それが小室哲哉のプロデュースで返り咲くどころか、それ以上の売れ方をしたのである。
小室はtrf、globeのメンバーとしてグループを牽引するほか、プロデューサーとしてダウンタウンの浜田雅功に提供した「WOW WAR TONIGHT~時には起こせよムーヴメント」がダブルミリオンを売り上げ、さらに紅白出場と、時代の寵児になっていく。
そして、安室奈美恵のミリオンヒット連発をお膳立て。「Body Feels EXIT」を皮切りに安室は売れに売れ、小室の通帳は「0」が並びすぎて、記帳できなかったそうだ。
この小室ファミリー、再生工場でいくつものグループや歌手が売れていくなか、小室は私生活でも騒がれていく。そこに浮上したのが華原朋美であった。中山美穂や工藤静香に憧れて芸能界を目指し、大好きな渋谷の吉野家でのアルバイト中にスカウトされてタレントに。遠峯ありさの芸名でアイドルを始めたが、鳴かず飛ばずのところ、小室と出会い、一気に花開いた。
小室と華原は公私ともパートナーになり、レコード大賞出演の際に関係者が垣根をつくってガードしてできた道を、手をつないで闊歩していた。華原朋美の芸名は小室と同じイニシャル「T・K」になるよう小室がつけたものだ。
しかし蜜月は続かない。栄華を極めた小室ブームが終焉を迎え、小室は後に詐欺で逮捕され、トップから転げ落ちていく。華原との破局が転落のきっかけとなったのか、転落をきっかけに破局に至ったかは定かではないが、華原も歩みを共にするように急降下していく。
自宅でガス中毒し、倒れて病院に緊急搬送された。料理中とのことだったが、意識不明の重体に陥っていたとの報道もあった。芸能プロを移籍し復帰会見を開いたが、その直後にマンションのロビーで倒れ再入院。御殿場の乗馬クラブで行った2度目の復帰会見のときは、顔がむくみ、痛々しかった。復帰はなかなか難しく、激太りに引退騒動、無期限休養、カナダ留学と、迷走を重ねる。突然のSNS閉鎖に不倫騒動と、数え切れないほどの負のスパイラル。直撃取材にも明るく笑顔を絶やさず、愛想の良いタイプだったが、このころ直撃すると、
「引退も考えています」
と口にした。相当追い込まれていたのだろう。
10代から売れっ子の広末涼子も奇行を報じられたことがある。品川女子学院の生徒だった頃、車の中で汗だくになって撮影した広末の新鮮で清潔な美しさからは想像もできないようなものであった。憧れの遠い存在だった芸能人も、苦しみ、地獄も見たりする場面が出てきたのも平成だ。
どん底から立ち上がろうともがく華原は、自宅でまた直撃すると、こう言ってほほ笑んだ。
「これからカラオケに行くんですけど、よかったらご一緒にどうですか」
この生来の気立ての良さが彼女を救い、今の復活につながったのだろう。芸能界は人生の縮図。どん底に落ちても返り咲ける。
(聞き手=長昭彦/日刊ゲンダイ)
あおやま・よしひろ▽1954年、東京生まれ。美空ひばりの時代から取材歴40年。現在も週刊誌などで活躍するベテラン直撃記者。
提供元:Yahooニュース