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月収2000万も事業に失敗…元「猿岩石」森脇和成さんの今(日刊ゲンダイDIGITAL)

90年代に一世を風靡した人気バラエティー番組「進め!電波少年」(日本テレビ系)。番組企画「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」で大ブレークしたのがお笑いコンビ「猿岩石」だ。ボケ役の有吉弘行は低迷期を経て、今や引っ張りだこ。ツッコミ役の森脇和成さん(44)は2015年に復帰したが……?
◇ ◇ ◇
「3月7日から10日まで都内・築地のブディストホールで上演される舞台『こと~築地寿司物語~【完全版】』に出演が決まり、毎日、稽古漬けなんです。2年前から俳優業に力を入れてまして、去年は5作に出演しました」
都内の稽古場。主演の鳳恵弥、渡辺裕之、山本圭壱ら出演者25人ほどが立ち稽古の真っ最中だった。
本作は、全国に24店舗を持つ老舗・築地玉寿司の基礎を築いた女板前の“故・中野里ことさん”の足跡と築地や築地市場で働く人たちの絆を描いたオリジナル。森脇さんは、ことさんの後を継いだ3代目の青年時代と4代目の2役をこなす。
「高校時代に実家近くの寿司店で、有吉と2カ月ほどアルバイトをしましてね。庶民的な店だったので、見よう見まねで握ってもいましたが、二十ン年後に、それが生かされるとは……」
なぜ、俳優なのか?
「猿岩石時代の00年に出演したミュージカル『シンドバッド』、02年の『蒲田行進曲2002』がとても楽しくて、演じていて気持ちが良かったんです。それで、復帰するならバラエティーより役者! と。誰しもいずれ死ぬんですから、好きなことしなきゃ」
一昨年、YouTuberデビューしたが?
「今も苦戦しながら継続中ですが、食っていくのは厳しい。正直、収入にはなってないです」
では、食いぶちは?
「知人が経営している飲食店で週に数回、アルバイトをしてます。芸能活動優先を許してくれてるので、すごくありがたいですね」
■絶頂期の最高月収は2000万円!
さて、広島県熊野町に生まれた森脇さんが、有吉さんと「猿岩石」を結成したのは1994年。鳴かず飛ばずの貧乏暮らしが続き、先輩芸人のアパートに居候していた時に「進め!電波少年」の企画「ユーラシア大陸横断ヒッチハイク」のオーディションに合格した。
「当初、『2泊3日の香港ロケ』と言われたので、バッグに入れた着替えは3日分。ロンドン行きを知ったのは現地です。いきなりカメラマン兼ディレクターと3人で放り出されました」
96年4月13日。まず中国に入国し、ベトナム、ラオスと移動してインドからシルクロードを西へ。そして欧州を横断してロンドンでゴールインしたのが同10月19日だった。
「ヤバかったのがイランの首都テヘラン。地元警察に拘束されて、収録した映像を全部消去されたんです。どうやら、収録現場に軍とか警察関係の施設があったらしい」
かといってパキスタン、イラン、トルコといったイスラム諸国は悪いことばかりではなかった。
「日本人にはとても好意的。ヒッチハイクは楽だし、食事はごちそうしてくれる。安宿を探してると、『ウチに泊まっていけ』。ほとんどお金を使わずにすみました」
週を追うごとに人気が高まり、知らぬ間に大ブレーク。帰国するや西武球場での凱旋ライブに3万人を動員し、旅をつづった「猿岩石日記」シリーズは累計250万部超のベストセラー。さらに企画テーマ曲「白い雲のように」で歌手デビューし、こちらもミリオンセラー。最高月収2000万円! を稼ぎ出した。
「結局、芸人と二足のわらじで始めた六本木のサパークラブに失敗したり、飲み歩きで全部使いました。アハハハ」
解散後は、再度サパークラブ経営にチャレンジして一時的に成功。だが昼夜逆転の生活で体調を崩しがちになったため、07年に結婚して長女を授かったことを機に安定を求めてサラリーマンに転職。派遣会社や高級ブランド品の輸入販売会社の営業マンなどを経験した。
だが、13年に離婚。親権は元妻に渡った。
「離婚していなかったら、ずっとサラリーマンのままだったでしょうね。独身だからこそできた復帰。お金や地位より、今は好きなことに専念したいと思っています」
都内のワンルームマンションに一人暮らしだ。
(取材・文=高鍬真之)
提供元:Yahooニュース