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内田也哉子「父母兼任で、ときには姉妹のように…」母・樹木希林との当時の生活ぶりを振り返る(TOKYO FM+)

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放送作家の高須光聖が、世の中をもっと面白くするためにゲストと空想し、勝手に企画を提案していくTOKYO FMの番組「空想メディア」。9月5日(日)の放送では、エッセイストの内田也哉子さんが登場しました。高須:いろんな人から聞かれていると思いますが、(母の)樹木希林さんはどんな人でしたか?
内田:今年の9月で他界して3年になりますが、いろいろな方から母の生前の話を聞いたり、「番組を作るから」ということで、(番組制作側から、私が)知らないエピソードを聞いたりして、改めて母と“出会い直している”という感じです。
ただ、本当に普通の親子で、私が小さい頃は、母のことを“厳しい”“怖い”と思っていました。でもそれは何の怖さかというと、必死に生きていたから。離婚はしていないですけれど、シングルマザー状態で家事も100パーセント自分でやっていたし、仕事も子育てもして……というなかで、どうしても厳しさを感じていた気がします。
高須:内田さんは1976年生まれですが、その時期は希林さんが一番大変な時期だったんです。「寺内貫太郎一家」(TBS系)では、由利徹(ゆり・とおる)さんや伴淳三郎(ばん・じゅんざぶろう)さんのような大先輩がいるなかで、当時31歳にして老け役でコメディをやるという。希林さんはコメディエンヌとして世に出てきたわけではないのに、あの一流メンバーのなかでコメディをやるというのは、すごいなと思って。
内田:殺気立っていましたね。ただ、子育てに関しては“食べさせておけば子は育つ”という考え方だったらしくて。70年代当時は、オーガニックの走りもあって“玄米菜食”にこだわっていて、本当に質素なご飯でしたけれどたくさん作ってくれました。
昔の“頑固おやじ”じゃないけど、一度言ったことは二度と言わないから、子ども側が“今はこうしたほうがいいんだな”と察して動く、みたいな。だから、わりと大人びるのが早かったんでしょうね。
高須:希林さんがほぼ一人親のような感じだと、男親を担っていた部分もあったんでしょうね。
内田:そうですね。父母兼任で、でもときには姉妹のように接してくることもあって。いただきものでケーキをもらうことがあると、母が最初に“あたし、これ!”って選んでいました(笑)。ひとりっ子だから、競争相手になる感じで。
提供元:Yahooニュース

