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シェフがアーティストに フジ「料理の鉄人」は料理番組に革命を(日刊ゲンダイDIGITAL)

【平成バラエティー史】(2)
「『料理の鉄人』で、料理番組に革命が起きました。それまでは『きょうの料理』(NHK)や『世界の料理ショー』(テレビ東京系)などのように、作り方を説明しながら、料理を作る番組が主流でした。しかし、この番組で、料理人同士が対戦をする新しい形ができたのです」
中華の陳建一、フレンチの石鍋裕、和の道場六三郎ら、国民的人気シェフがこの番組から輩出された。
「収録スタジオも変化しました。大きなキッチンがスタジオになったキッチンスタジアムや、鉄人の肖像画が飾られているのも、今までの料理番組にはなかったことでした。解説はナレーションではなく、バトルの実況中継をするように、実況を福井(謙二)アナウンサーが、キッチンからのリポートは太田真一郎さんが担当しました」
鹿賀丈史が派手な舞台衣装に身を包み、「アレ・キュイジーヌ!」と高らかに声を上げ、鉄人と挑戦者の料理対戦がスタートだ。
「のちに道場さんご本人から聞いたのですが、『あの番組が始まるまで我々は、ただの料理人、あるいはコックと呼ばれる普通の仕事人でした。それが“食”を生み出すアーティストになりました。昨日までメシ屋のオヤジだったのが有名人になり、写真集まで出すような人も出てきたくらいです。全て“料理の鉄人”のおかげです』とおっしゃっていました」
料理人のステータスはこの番組で確実に上がったのである。
のちに同番組は、米国をはじめとする多くの国で放送され、米テレビ界最高峰の国際エミー賞も受賞した。世界が認めた日本発の有料コンテンツでもあった。
「諸説あるけれど、最初は『かまどの鉄人』? とかいうタイトルだったそうで(笑い)。放送作家、広告代理店社員、演出家、ADのたった4人ほどが、ファミレスに集まって考え出したのがこの番組の最初といいますから面白いですよね」
この後から対決ものの番組も増え始めた。
「カリスマ美容師ブームに火を付けた、石井竜也さん司会の深夜番組『シザーズリーグ』(フジテレビ系)もそうです。美容師がカットやパーマやアイロンの技術を駆使して対戦です。どの髪形に一番共感するのかを、観客女性に投票させる番組でした」
そこで輩出されたカリスマ美容師もステータスが上がり、芸能人のように一流ホテルでディナーショーを開催する者もいた。
■食べることがエンターテインメントに
「新しい形の料理番組に爆発的人気が出てきた数年後、1997年に『どっちの料理ショー』(日本テレビ系)がスタートしました。これは“人”ではなく“食材”にスポットを当て、料理の素材の魅力を鮮やかに描き出す番組でした」
「今のお気持ちは、どっち?」と記憶に残るこのフレーズ。番組は関口宏と三宅裕司の、2チームに分かれて、チキンカツVSポークソテーのように、どちらかの料理を選ぶものだった。
「旬のサンマの塩焼きが、マツタケを破る! という珍事もありました(笑い)。料理番組を作るというよりも、こだわり抜いた食材を作る生産者の、ウルトラドキュメンタリードラマを作っているようでした」
また、おいしそうに料理を撮影する「ブツ撮り」のはしりでもあった。
「一つの食材を追い、最終的に料理になったときに、よりおいしそうに見える撮影をする、いわゆるシズル感というものを加えました。つまり、湯気だとか、トロトロだとか、ジューシー感です。スタッフにCM出身ディレクターがいたからできたのです」
料理番組に、対戦型やドキュメンタリーの要素、そして高度な撮影技術も加わり、大きな変化を与えた番組だった。そしてついに、夕方のニュース番組の合間にもグルメが取り扱われるようになったのだ。
「食べることがエンターテインメントになりました。ニュースの“箸休め”に、おいしいものの食べ歩きです。街のおいしいコロッケ屋さんとか、カレー屋さんなどといった、おいしい店の食レポが入るようになりました」
(取材・文=稲川美穂子)
提供元:Yahooニュース