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人気音楽プロデューサー・蔦谷好位置 が明かす、“屈辱的”だった仕事(J-WAVE NEWS)

J-WAVEで放送中の『GOLD RUSH』(ナビゲーター:渡部 建)のワンコーナー「MEET UP」。2月15日(金)のオンエアでは、音楽プロデューサーの蔦谷好位置さんを迎えて、過去に苦労したエピソードや新しい音楽プロジェクトについて話をお訊きしました。
「久しぶりにすごいのが出てきたな」蔦谷好位置が注目する新人アーティストって?
蔦谷さんは、YUKI、Superfly、ゆず、米津玄師、back numberなど、数多くのアーティストに楽曲提供したり、プロデュースを手掛けています。音楽プロデューサーとして活躍していますが、もともと蔦谷さんは、2000年にバンドマンとしてデビューしました。
蔦谷:最初は、けっこう期待されてデビューしたけど、あまりうまくいかず、3年ぐらいで解散しちゃったんです。仕事もお金もなくなったけど、音楽は絶対に続けたいと思ってました。バンドもいいけど、作曲やプロデュースにも興味があったので、そっちでやっていきたいと思いつつ、仕事がなかったんです。そこで、ガラケーの着メロを作ってました。
渡部:それはオリジナル曲ですか?
蔦谷:売れてる曲を着メロにしていたから、まあまあ屈辱的ですよ(笑)。
渡部:メジャーデビューしたアーティストがやる仕事ではないですよね。
蔦谷:作っていっても、ちょっと「我が出ちゃう」というか、「もっと忠実にやってください」って言われて、直させられるんです。
渡部:でも、ヒット曲を紐解くことで見えてきたこともあるんじゃないですか?
蔦谷:それはありました。あとは、「直せ」って言われて、耐えることを学びました。
そのほか、「キャバクラでピアノを弾いていたこともある」と蔦谷さん。
渡部:一度売れて、また下積みから始めるような感じですけど、音楽を辞めたいとは思いませんでした?
蔦谷:しんどかったけど、音楽以外はできないと思ったんです。メジャーでダメだったときに、「もう一度やりたいから、音を聴いてください」といって、もらった名刺を見て全員に電話したんです。ほぼ門前払いだったけど、すごく頑張って営業したのを覚えています。
渡部:そうなんですか。
蔦谷:少しずつチャンスをいただいたけど、大体ダメなんです。だけど、初めてYUKIさんの『JOY』で、「いい」って言ってもらえました。
『JOY』以前までは、一度も「いい」と言われたことがなかったと言います。
蔦谷:見つけてくれたのが今の事務所の社長で、YUKIさんも「いい」って言ってくれました。恩人です。
渡部:そうなんですか! プロデュースするときに、自分で作っているルールはありますか?
蔦谷:実は自分がバンドしてたときにプロデューサーの方とかがついて、いろいろありがたいことを言っていただいたんですけど、納得いかない作品をリリースしたこともあったんです。だから、自分がプロデュースするアーティストに、そういうふうにはなってほしくないんです。やりたいことは全部試して、アーティストと一緒に作るようにしています。
渡部:納得できないままリリースってこともあるんですね。
蔦谷:そうですね。「そもそもリリースしたくない」「シングル曲ではない」と思っている曲があって、「これでタイアップをとっていこう」って言われて、「タイアップか……」と思ったけど「我慢してくれ」って言われて。けっきょく、タイアップも何もつかず、どうにもならないということがあったんです。それはよくないと思ったけど、喧嘩してもしょうがないし……。そういうことも勉強しましたね。
提供元:Yahooニュース