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百恵さん22回目の誕生会 情報漏れて急遽、新婚近況インタビューに 記者だけが知る愛の日々(夕刊フジ)

【百恵さんと三浦友和 記者だけが知る愛の日々】
三浦友和と山口百恵の結婚披露宴は1980年11月19日、東京プリンスホテル「鳳凰の間」で行われた。友和から友人用の「招待状」をいただいた私は、小型カメラを手に豪華な立食パーティーの中を歩き回り、祝いに駆けつけた芸能人の表情やそれぞれの「百・友結婚の感想」といったこぼれ話を拾っていた。
取材陣は各社2人、限られたスペースでしか写真も撮れなかったので、私のいたスポーツ紙は自由に動ける私の加入で有利だった。友和のおかげである。百恵さんは引退したが、その年のNHK紅白歌合戦の人気アンケートで4位に。それほどファンは百恵さんを惜しんだのだ。番組担当者は出演交渉したが、むろん返事は「引退したので辞退します」だった。
翌81年1月17日は百恵さんの22回目のバースデー。ワイドショーや芸能紙が「百・友の新婚生活」をスクープしようと躍起になる中、百恵さんの誕生パーティーが原宿のレストランで行われた。私は友和から「誰にも話さず、1人で参加してください」と念押しされ、単身で出席した。
受付には百恵さんが立ち、「これからは稔さん(友和の本名)をよろしくお願いします」と笑顔であいさつ。落ち着きのある風情は、すでに三浦夫人が板についていた。パーティー会場には夫婦の家族、2人と親しいアン・ルイスら仕事仲間約50人が集まった。
会が盛り上がったころ突然、友和が仲間と「まずいな、情報が漏れた。外に取材陣がたくさん集まっている。裏口はないからかわせない」と悩みはじめた。斥候として私が様子をうかがうことになり、外に出ると顔見知りの梨元勝氏らテレビクルー、スポーツ紙、女性週刊誌数社が出口で待機していた。
私は梨元氏と「外で5分だけと夫妻にかけあってみる」と交渉し、友和にその旨を伝えた。渋々友和が承諾したため、私は「来客」から「取材記者」に転じ、コートなしで小雪舞う「緊急街頭取材」の輪に巻き込まれることに。そして新婚近況インタビューの模様を会社に伝えるため、外の公衆電話で記事を送った。
子供2人は俳優、歌手として順風満帆。百恵さんは家事や義父母の介護などに追われているが、趣味のキルトを制作したり、夫婦で旅行や外食をしたりと楽しんでいる。
そして自慢のつまみを卓に並べ、友和と晩酌しながら過ごす「ふつうのオバサン」に満足しているという。=おわり
(フリーライター・中野信行)
■三浦友和(みうら・ともかず)本名・三浦稔。1952年1月28日生まれ、山梨県出身。都立日野高校ではRCサクセションの忌野清志郎さん(故人)と同級生。72年、宇津井健主演のTBS「シークレット部隊」でデビュー。74年、映画「伊豆の踊り子」で山口百恵と共演し「ゴールデンコンビ」と呼ばれ、TBSの赤いシリーズでもコンビで人気を不動にする。
80年に百恵と結婚。映画、テレビドラマ、舞台と活躍を続けている。
提供元:Yahooニュース