-
夜遊び夜遊び
-
お水お水
-
ホストホスト
-
風俗風俗
-
ビューティビューティ
-
ファッションファッション
-
悩み相談悩み相談
-
モデルモデル
-
芸能芸能
-
雑談雑談
-
食べ物・グルメグルメ
-
生活生活
-
恋恋
-
インターネット・ゲームネット・ゲーム
-
ギャンブルギャンブル
-
過去ログ倉庫過去ログ倉庫
-
運営運営
映画「伊豆の踊り子」の“百恵・友和共演”に“疑惑”!? 真相やいかに… 百恵さんと三浦友和・記者だけが知る愛の日々(夕刊フジ)

【百恵さんと三浦友和 記者だけが知る愛の日々】
山口百恵さんは日本テレビのオーディション番組「スター誕生!」の出身である。1972年に牧葉ユミの「回転木馬」を歌い準優勝、20社の芸能プロから指名を受けてホリプロに入社した。
すでに同い年の森昌子は番組の第1回決勝大会で最優秀賞を獲得、デビュー曲「せんせい」で新星スターに。そして「花の中三トリオ」の1人、美人の桜田淳子は優勝して25社の指名があり「天使も夢みる」でデビューを飾っていた。
成績に差のあった百恵さんは「スタ誕」の生みの親である池田文雄プロデューサーを訪ねている。池田氏は「彼女は『本当にスターになれるでしょうか?』と心細さを私にぶつけてきた。しかし表情に芯の強さが前面に出ていたので、私は『絶対にスターになれる』とエールを送った」と語っている。
当時の審査員、人気作詞家で辛口批評家の阿久悠氏は「あなたは青春ドラマの妹役ならいいけど、歌手は諦めたほうがいい」と百恵さんには厳しかった。このことが原因なのか、百恵さんは人気歌手になった後も阿久氏に作品を一切頼んでいない。阿久氏は著書で「当時、ボクは桜田淳子の詩を書いていて、同系列の歌手の詩は書かない主義」と確執説は否定しているが…。
百恵さんは73年4月、14歳でデビュー曲「としごろ」を発表した。所属レコード会社のキャッチコピーは「大きなソニー、大きな新人」。当時は年端のいかない少女歌手に大胆な歌詞を歌わせる「青い性路線」が流行していた。
74年の第2弾「ひと夏の経験」が大ヒットし、百恵さんは全国の注目を浴びたのである。そして8月にTBSの連続ドラマ「事件狩り」がはじまり、14日放送の「ひと夏の経験」の回で、こっそり友和と百恵さんは共演しているのだ。2人が出会った作品である。
その直後、映画「伊豆の踊り子」(西河克己監督)の主演に百恵さんが決まり、相手役の男優を一般公募したが、そのオーディションには疑惑があった。
百恵さん所属のホリプロの当時の社長は小田信吾氏、友和所属のテアトル・ド・ポッシュの社長は川口義宏氏。小田氏はポッシュの出身で、川口氏とは親友だった。もともと“百・友共演”を決めていながら「話題づくりの一般応募」を企画したという説が流れた。
もう一つの説。百恵さんと友和はこの年、グリコのCMで共演していて、それを見た西河監督が「似合いのカップル」と気に入り、最終選考箱の中に友和の書類をそっと入れた、というのである。さて、その真相やいかに。(フリーライター・中野信行)
■三浦友和(みうら・ともかず)本名・三浦稔。1952年1月28日生まれ、山梨県出身。都立日野高校ではRCサクセションの忌野清志郎さん(故人)と同級生。72年、宇津井健主演のTBS「シークレット部隊」でデビュー。74年、映画「伊豆の踊り子」で山口百恵と共演し「ゴールデンコンビ」と呼ばれ、TBSの赤いシリーズでもコンビで人気を不動にする。
80年に百恵と結婚。映画、テレビドラマ、舞台と活躍を続けている。
提供元:Yahooニュース