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出世争いは会社も王室も一緒!?英王室、女たちのしくじり【アン女王編 Vol.1】(ELLE ONLINE)

2019年アカデミー賞最多ノミネート作『女王陛下のお気に入り』のモデルとなったアン女王の時代(18世紀初頭)は、史上まれにみる女性が活躍した時代。しかし同時に350年続くステュアート朝が断絶した時代でもあった。そこで主要人物である4人の女性が仕事でしくじったポイントをおさらいし、そこから学ぼうというこの企画。初回はグレート・ブリテンを統一させた最初の女王にして、国の成長に大きく貢献した名君ともいえるアン女王。しかし、議会を分裂させ、最終的にダイナスティは終焉を迎えてしまった。彼女のしくじりは、好きな部下は寵愛し、批判的な人間を排除する“お気に入り人事”。まずはその生い立ちを振り返り。
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1665年2月6日、アン女王はジェームズ2世と最初の妻アン・ハイドとの間に、姉メアリーに次ぐ次女として誕生した。生まれつき目が悪く、3歳のとき治療のため母とフランスに引っ越すが、英国に戻ってしばらくして母は急死。アンとメアリーは8人きょうだいだったが、6人が次々と亡くなり、アンとメアリーだけが生き残った。
死に囲まれた生活を忘れようとするかのように、アンは乗馬などスポーツに勤しんだ。だが、悲しみが癒える間もなく、父はすぐに若い再婚相手を見つける。義母はわずか15歳。義理の兄弟が生まれ、取り残されるふたり……。こうして姉メアリーは早々にオレンジ伯爵、ウィレムのもとオランダへ嫁ぎ、アンはデンマーク王子のジョージと18歳で結婚する。
夫婦仲は良く、ジョージは彼女が女王になったときも、王権を主張することはなく、素直に王配(女王の夫)の立場に収まったという。しかし、不幸だったのは流産しやすい体質だったこと。現在では自己免疫疾患だと推測されているが、当時は分析する余地もなく、アンは繰り返し出産に挑戦。結果、生涯で17回(一説には18回とも)妊娠、死産・流産は12回。誕生してもことごとく夭折してしまう。夫婦仲とは対照的に、アンには常に悲しみが付きまとっていた。
提供元:Yahooニュース