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一世風靡セピアで活躍の春海四方さんが名脇役になるまで(日刊ゲンダイDIGITAL)

【あの人は今こうしている】
1984年、東京・渋谷の路上パフォーマンス集団から歌手デビューした7人組ユニット“一世風靡セピア”。硬派で男くさいカラーが女子のハートをつかみ、黄色い声援を浴びていた。柳葉敏郎や哀川翔を輩出したことで知られているが、春海四方さんもメンバーのひとりだった。今、どうしているのか。
春海さんに会ったのは、JR新宿駅から徒歩1分の喫茶店。春海さん、シャツにジーンズというラフな格好で現れた。
「一世風靡セピアが平成元(1989)年に解散した後、一世風靡とは関係ない方向へ進みたいと思い、高校時代からの夢だったカタい舞台の世界へ本格的に進みました。40代からは、映画やテレビといった映像のお仕事もやらせていただいています。一つ一つ、コツコツです」
春海さん、まずはこう言った。
実は2018年だけでもNHK連続テレビ小説「半分、青い。」や「おっさんずラブ」(テレビ朝日系)など話題のドラマに出演。バイプレーヤーとして活躍しているのだ。
「いろんな方に助けてもらうことの連続でした。ボクは不器用なので、舞台でも映像でも最初は怒られてばっかりで、俳優をやめようかと、ひどくヘコんだことは何度もありました。でも、一生懸命やっていたら誰かが見ていて、次の仕事の声をかけてくれたんです」
一世風靡セピア解散の翌90年に結婚した夫人にも助けられた。
「家内は大学時代に知り合った人で、ボクと結婚してからも、ずっとアルバイトをしてくれて。ボクも皿洗い、清掃、肉体労働……、何でもやりました。宅配の仕事をしたときは、お客さんに『あれ、一世風靡の……』と気づかれ、握手を求められたりして恥ずかしかった(笑い)。アルバイトをしなくなったのは40歳ぐらいになってからですね」
それまでに貯金はしていなかった?
「貯金はまったくなかったです。そんなにもらっていなかったですし。月給制で、デビューしてしばらくして、ボーナスで100万円をもらったものの、月給の一番いいときで50万円、最後は15万円ぐらいでしたから。でも、もともとお金が欲しくて路上パフォーマンスを始めたんじゃなくて、ただ何か面白いことがやりたくて、夢中になってやっていただけで欲はなかった。哀川翔ちゃんと柳葉敏郎さんは飛び抜けてキラキラしていて、振り返ると、仕事というより青春でしたね」
その青春をつづった「前略、昭和のバカどもっ!!」(KADOKAWA)を18年11月に上梓。
「金儲けが大事、みたいな風潮が強くなってきた10年くらい前に、お金がないからこそやれたことがあった、と知ってほしいと思い、書き始めました。メンバー7人中5人は俳優になっているけど交流はないので、本を出したことを一人一人の事務所に手紙を書いて知らせました。『読みながら泣いた』ってインスタグラムにあげてくれたりしてうれしかったです」
■「再結成の話は何度かあったけど・・・」
さて、東京・千駄木出身の春海さんは高校時代、先生の影響で演劇に憧れ、早稲田大学進学後に舞台で活動を始めた。83年、ダンススタジオの先輩に紹介された路上パフォーマンス集団“劇男一世風靡”に飛び込み、翌年“一世風靡セピア”のメンバーとして歌手デビュー。人気を博した。
「再結成の話はこれまで何度かあったけど、いつも誰かの都合が合わなくて、本格的な再結成は一度もないですね」
夫人との間にもうけた長男・長女は25歳と23歳で、2人とも会社員だ。
「反面教師になっちゃったのかなぁ、ハハハ。最近は、お気に入りのドラマにボクが出ていると、『なんでお父さんが出るの』と文句を言われちゃいます」
(取材・文=中野裕子)
提供元:Yahooニュース