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故・藤島メリー泰子名誉会長 ジャニーズに捧げた「女帝」の激しき生涯…タレント愛ゆえの“剛腕”も数々(日刊ゲンダイDIGITAL)

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ジャニーズ事務所の藤島メリー泰子名誉会長が今月14日、肺炎のため都内の病院で亡くなっていたことが同事務所から発表になった。享年93。1962年のジャニーズ創業以来、実弟の故ジャニー喜多川氏(19年に死去、享年87)とともに一代で希代のアイドル帝国を築き上げた。天才的な審美眼でタレントを生み出すジャニー氏と、あくまで裏方に徹し、全国規模のファンクラブを組織化するなど今日の隆盛へと繋がる事務所の基盤をつくったメリー氏。時にはスキャンダルを追う芸能マスコミに対して体を張り、恫喝まがいの言動には批判の声も上がったが、同事務所の「少年隊」東山紀之がメリー氏の忘れられない言葉として「私はタレントを守る為なら、いくらでも悪人になります」をあげているのはその証左、激しき愛情の裏返しだったのであろう。功罪相半ばするメリー氏とはどんな人物だったのか。
コロナで変わるジャニーズ グループ活動の前に個人で活動
◇ ◇ ◇
「あら」
ジャニーズ担当の番記者らが集まっているのを見ると、そう言ってにっこりと笑い、「よろしくお願いいたします」と丁重に頭をさげる。ジャニーズの女帝と呼ばれ、「たのきんトリオ」「少年隊」などを育成した故・藤島メリー泰子氏の在りし日の姿である。芸能リポーターの城下尊之氏が回想する。
「記者団に会釈してくれたその足で舞台関係者のもとへと向かわれ、にこやかに接待されていたのを覚えています。1962年の創業当時から経理や実務をこなし(弟の)ジャニーさんがその力を存分に発揮できるよう、縁の下の力持ちとなって支えたメリーさんはジャニーズの代表として、関係各所に自ら足を運ばれていました。ジャニーさんが才能を見出したアイドル、タレントたちをデビュー前から見守り、衣装を縫い付けたり、弁当をつくってあげたり、洗濯までしてあげていた。メリーさんの溌剌とした立ち居振る舞いが印象的でした」
タレント発掘からグループ結成、舞台プロデュースなどで「ジャニーズ帝国」を築いたのがジャニー喜多川氏なら、メリー氏はその裏方、経営やビジネス面でその力を発揮し、長年副社長としてマスコミ対応までこなし、今日のジャニーズブランドを築き上げた。表舞台に登場することはほとんどなかったが、ジャニー氏ともども、芸能界に多大な影響力を持つ大物であった。
「もともとジャニーズは商店であったという言い方があるんです。煌びやかなアイドルやグループを揃え、ファンを楽しませる。大所帯となり、今や大きな会社組織ですけれども、かつてはジャニーさんメリーさんご姉弟が出店をまわるようにし、ときに店頭に立って、盛り立てていたからでしょう。年も年ですから、という言い方でしたけど、お元気にされていると聞いていましたので、突然の訃報には驚いています」(前出の城下氏)
■“剛腕”でマスコミ懐柔、「いくらでも悪人になる」
メリー氏は米ロサンゼルスのリトルトーキョーにある高野山真言宗米国別院の僧侶の長女。3人きょうだいの長女で、第二次世界大戦前に末弟のジャニーさんともども日本に来た。作家の藤島泰輔氏と内縁関係を経て結婚、1997年に死別している。
ジャニーズ幹部としては、SMAP初の海外公演となった2011年の北京公演を豊富な人脈を駆使してプロデュース、「人間関係を築く天才」との評もあったそうだ。19年7月にジャニー氏が亡くなると、一時は代表取締役に就任したが、娘の藤島ジュリー景子氏の社長就任と共に一線から退き、会長、名誉会長として支えた。ジャニーズが全ての生涯であった。
だがタレントを守るためなら「悪人になる」というその情熱と覚悟は“剛腕”と畏怖され、テレビ、新聞、雑誌など芸能マスコミは懐柔、屈服した。
「ジャニーズ事務所が大所帯になるにつれ、トラブルやスキャンダルも多くなるのは人気商売だから当然でした。それでもたとえばあるテレビ局のワイドショーがジャニーズのスキャンダルを扱なら、タレントを全員引き上げると局の幹部に告げるんです。ジャニーズのタレントがいなくなったら番組が成立しない以上、逆らう局はありません。本人が直接出張らなくても“メリーさんがそう言ってます”で済んでいました」(ジャーナリスト・二田一比古氏)
1987年、人気絶頂の中森明菜が交際相手だった近藤真彦の自宅マンション内で自殺未遂という事件も、その年の大みそかに開いた「金屏風会見」まで仕切り、騒動の沈静化に動いたのもメリー氏だった。
「明菜さんとマッチの熱愛情報があり、それを報じたところ事務所に呼び出され4時間以上にわたって怒鳴られたものです。所属タレントを守る気概がとても強く、物凄く怖かった」(ベテラン芸能記者の青山佳氏)
■SMAP解散の引鉄にも
2016年のSMAP独立解散騒動も、チーフマネジャーを公然と批判し「出て行きなさい」とメリー氏が言い放ったのがきっかけだった。
「報じたスキャンダルが事実であれば文句は言わないのは潔いのですが、他の媒体には後追いはさせないようにし、“風”の段階で収めて絶対に“火事”にはしない。テレビ局にとってはタレントが人質だし、出版各社にはファッション誌やカレンダーの利権もある。そうやってアメとムチで牛耳った。結局、ほとんどのマスコミはメリーさんに負けたんです」(二田氏=前出)
葬儀告別式は故人の遺志により近親者のみで執り行われたという。93歳。激しき“女帝”の生涯だった。
提供元:Yahooニュース

