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40年以上たっても崩れなかった…希林さんの一徹な「離婚しない」態度(夕刊フジ)

【番記者だけが知る女優・樹木希林の壮烈人生】
ロック歌手の内田裕也と1973年10月に結婚したが1年半で別居。その間のことを「意見が合うときは最高に仲がいいんだけど、一度すれ違っちゃうともうダメ。殴り合いの大げんかになり、彼は出て行く」と話す。
けんかが始まると大声で怒鳴りあい、物が部屋中を飛び交うそうで「マンションの隣や下の階の人は強烈な騒ぎに耐え切れず、何人か引っ越して行った」というほど。
別居して6年後の81年、突然彼女から電話があった。「裕也が勝手に離婚届を提出した。相談に乗って」というので、代々木のNHK近くの喫茶店で会った。当時5歳になる也哉子を女手ひとりで育ててきた希林さんと裕也は別居後も1年に1、2度は会い、親子で食事をすることもあった。ところが裕也は他人に「内田啓子」と書かせ、離婚届を区役所に出してしまったのだ。
私は知人の弁護士の知恵を借り「法的には無効だし、裁判しても勝てる」と伝えた。彼女は「裕也は縁あって結ばれた人。添い遂げるのが当たり前。絶対に離婚しない」と私に決意を話し、裕也に宣戦布告。私は、所属のスポーツ紙に「泥沼の離婚騒動」記事を載せた。
むろん裁判は彼女が勝ったが、裁判官は裕也に同情を寄せ、彼女に「裕也さんは、あれだけ別れたがっているのですから、なんとか…」と最後に一言付け加えている。
希林さんの一徹な「離婚しない」態度は40年以上たっても崩れなかった。彼女は黙々と働き、スイスに留学させた也哉子は日本アカデミー賞新人賞を受賞し、エッセイストとして活躍中。陰では裕也への経済援助も欠かさなかったと伝えられ、裕也は希林さんの死後「啓子は見事な女性でした。人を助け、人のために祈り、人に尽くした。ありがとう」と大きな喪失感を述べた。
79歳の裕也も、一つだけ内田家のために貢献している。本木雅弘を娘に紹介したことだ。夫婦は2男1女をもうけ、長男の雅楽(21)はモデルとして脚光を浴びている。長女の伽羅(19)はロンドンのインターナショナル・スクールに通学中で、次男の玄兎君(8)も元気に育っている。
希林さんも彼らの成長を天国で見守っているだろう。3人の孫は彼女を「ばぁば」と呼び、なついていた。=おわり(フリーライター・中野信行)
■樹木希林(きき・きりん) 本名・内田啓子。1943年1月15日生まれ。東京都出身。61年に文学座に入団。73年にロック歌手の内田裕也と再婚したが1年半で別居。籍はそのままだった。最初の芸名は悠木千帆。樹木希林に変名したのは77年。
2013年に「全身がん」を告白。今年9月15日に75歳で死去した。長女はエッセイストの内田也哉子、その夫が本木雅弘。遺作は自ら企画も担当した映画「エリカ38」(来年公開)。
提供元:Yahooニュース