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新東宝のエースだった宇津井健が「大映移籍」の時に出した条件【芸能界と格闘技界 その深淵】(日刊ゲンダイDIGITAL)

【芸能界と格闘技界 その深淵】#29

 少年時代から石原裕次郎やカーク・ダグラスのような映画スターに憧れた白羽秀樹少年(のちの沢村忠)は、中学3年生の時、映画会社・新東宝のオーディションに合格。芸名は「城哲也」。高校時代だけで8本の映画とドラマに出演し、夢を掴んだかに見えたが、期待されたほど売れなかった。

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「同級生何人かで白羽君の出た作品を見に行きました。なんて作品かは忘れちゃった。それにチョイ役だったから、どこに出たのか、よく見えなかったんです」(白羽秀樹の小中学校の同級生)

 当時の新東宝の上映作品を洗い出してみたが「城哲也」のクレジットは確認できなかった。名前すら載らない端役だったのかもしれない。映画マニアの知人に尋ねると「この頃の新東宝の作品は散逸している可能性があるから」と言った。というのも当時、新東宝の経営は悪化の一途をたどっており、「そのことと無関係ではない」というのである。

 白羽少年が新東宝に入社した1958年、映画「明天」の製作費、興行収入の一部横領の疑いで大蔵貢社長の自宅が家宅捜索、併せて特別背任で書類送検されている。新東宝が赤字経営に転落したのはまさにこの時期からで、社員や技術職の退職が相次いだ。社長の大蔵は東映の子会社である「第二東映」(ニュー東映)との合併を画策。一時は社名を「新東映」にするところまでまとまりつつあったが、程なく合併話は決裂してしまう。「日活にも合併を持ち掛けていたから」とも伝わるが、真相は定かではない。

 戦後の東宝争議の副産物として産み落とされた新東宝は、1961年5月に不渡りを出し、同年8月に倒産。負債総額は7億8000万円、現在の価値にすると30億円近い額となる。同時に、新東宝の経営陣は倉庫に眠っていた330本の旧作をTBSと日本テレビに1億4000万円で売り払っている。しかし、その情報をいち早く掴んだ労組が、その代金を押さえ、未払い金および退職金として社員および外注スタッフに支払った。その過程において、いくつかの作品が紛失した可能性もあるというから、白羽の出演作も含まれていた可能性は否めない。

 ともかく、新東宝が倒産したことで、社員のみならず専属俳優も身の振り方に苦心する。「新東宝女優三羽烏」のひとりとして純愛モノからお色気まで幅広く活躍した久保菜穂子は、会社が傾きかけた1959年にあっさり東映に移籍。1963年には、当時はまだ珍しかった映画会社に所属しないフリーの女優として、時代劇から現代劇までこなすマルチプレーヤーとなった。同じく「三羽烏」のひとりである三ツ矢歌子も、倒産前に見切りをつけ映画監督の小野田嘉幹と結婚し寿退社。その後フリーの女優として活躍した。

 対照的に倒産時も新東宝に残ったのが宇津井健、池内淳子といった屋台骨となった面々だった。池内淳子は程なく東京映画に移籍し、森繁久弥主演で人気を博した「駅前シリーズ」や「社長シリーズ」などのコメディー作品で新境地を開いた。

■「城哲也」こと白羽秀樹は…

 一方の宇津井健は「永田ラッパ」で知られる永田雅一率いる大映から声がかかった。新東宝のエースで引く手あまただったはずの宇津井は、移籍の際に「行き場のない若い役者の面倒も見てくれ」という条件を出した。

 さしたる実績のない若手俳優「城哲也」こと白羽秀樹少年が大映に移籍することになったのも、宇津井健の温情とみていいのかもしれない。 =つづく

(細田昌志/ノンフィクション作家)

提供元:Yahooニュース
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