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追悼・ジェリー藤尾さん “芸能界喧嘩最強伝説”の裏にあった周囲の「ハーフ差別」(日刊ゲンダイDIGITAL)

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「遠くへ行きたい」を歌い、黒沢明監督「用心棒」などに出演した俳優の故ジェリー藤尾さんは腕っぷしの強さで知られ、若い頃は愚連隊の用心棒をしていた。新宿区のジャズ喫茶に出入りしていた高校時代からで、ついたあだ名が「中央線の鬼」。
芸能界ケンカ最強候補だった渡瀬恒彦は女に手を出すのも…
「界隈の不良の間で知らないやつはいないといわれた存在で、『生意気だ』とナイフで襲ってきた暴力団を相手に立ち回り、素手で返り討ちにしたのは有名な話。喧嘩で鳴らした安岡力也もひれ伏す存在だったそうです」(スポーツ紙芸能デスク)
だが、当時の状況や背景を知ると、見方も変わってくる。ベテラン芸能記者の青山佳裕氏が言う。
「ジェリーさんは小さい頃、ハーフであることを差別的表現でからかわれ、周囲から蔑まれ、いじめられたと語っています。1940年、上海の日本租界で元NHKアナの父とイギリス国籍の母の間に生まれ、外国人居留地で英会話のみの環境で育ったため、たどたどしい日本語では思うに任せない。それで覚えたのが喧嘩。それは助けもない中、自力で生き延びるための唯一の手段だったのだと思います」
家では、やはり周囲に冷遇され、馴染めずにいた母親が心労からアルコール依存症になり、ジェリーさんが中1のときに死去。それで歌舞伎町の繁華街に繰り出し、すさんだ生活を送るようになったという。その一方、高校時代からバンドボーイとして米軍キャンプを回ったりもしていて、新宿のジャズ喫茶で飛び入りで歌ったプレスリーの「ハウンド・ドッグ」が芸能界入りのきっかけ。58年に「水原弘とブルー・ソックス」のボーカルとなり、日劇ウエスタンカーニバルに初出演。61年に「悲しきインディアン」でデビューし、NHK「紅白歌合戦」に初出場を果たす。永六輔さんの作詞、中村八大さん作曲による「遠くへ行きたい」が大ヒットしたのは翌62年であった。
■最期は家族と
私生活では歌手の渡辺友子と64年に結婚、2女に恵まれるも86年に離婚した際は財産分与などで揉め、6度の離婚調停で「泥沼」とワイドショーに報じられた。不倫やらDV疑惑まで乱れ飛ぶスキャンダルであったが、時を経て、今年3月に仲直りしていた。そう発表した渡辺によると、和解の席で結婚指輪を互いに交換し、ジェリーさんは「友子、愛してるよ」と告げたという。以来、週に2回、結婚指輪を2人でつけ、次女宅で食事を共にしていたそうだ。
その最期は14日午前4時52分、慢性閉塞性肺疾患(COPD)のため、横浜市内にある次女宅で息を引き取った。享年81。
「2人の娘、5人の孫、3人のひ孫に恵まれて、幸せな最期だったと思います」と、渡辺はコメントしている。20日に横浜市内で家族葬が営まれる。
提供元:Yahooニュース

