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「てんとう虫のサンバ」…お遊びの曲が大ヒットで紅白に(日刊ゲンダイDIGITAL)


【昭和・平成ヒット曲の裏側】


 ヒット曲は狙って作れるものではありません。でも音楽ディレクターとしては、シングル曲はすべてヒットさせるつもりで作っています。


 でもこの曲だけは、全く売れるとは思っていませんでしたね。チェリッシュの「てんとう虫のサンバ」(1973年)です。チェリッシュ最大のヒット曲で、結婚式の定番ソングとして教科書にも載っていますが、当初はアルバムの中の一曲として、正直、“お遊び”で作ったものだったからです。


 そもそもチェリッシュとの出会いは、1971年に開催された「全国フォーク音楽祭」。当時5人組だったチェリッシュは見事優勝。僕は所属していた「ソルティー・シュガー」のメンバーとして、ゲスト席から彼らを見ていました。まさかその後、ディレクターと歌手として再会するとは思ってもいませんでしたが。


 その後、チェリッシュは71年9月にビクターからデビュー。5人グループとして2枚シングル曲を出し、72年の「ひまわりの小径」から、松崎好孝と松井悦子(結婚したのは5年後)の男女デュオとして活動を始めていました。


 一方私は、71年5月にバンドを解散。大学を卒業後、ビクターに“ディレクター見習い”として潜り込みました。ディレクターデビューは72年に果たしていましたが、ヒットはなし。そんな時、チェリッシュを担当していた先輩から「2人組になったのを機に、おまえがやれ」と半ば業務命令。それで73年1月発売の「若草の髪かざり」から私が担当することになったのです。


 当時のチェリッシュはアルバムがよく売れていたので、オリジナルアルバムを作ろうということになり、その中のひとつとして収録したのが「てんとう虫のサンバ」です。3年前に森山加代子さんが歌った「白い蝶のサンバ」がヒントになりました。シングル化するつもりは全くのゼロ。


 ところが、アルバムのサンプル盤を聴いた大阪のラジオ局のディレクターが「てんとう虫のサンバ」を気に入ってくれて、番組でかけてくれたところ問い合わせが殺到。有線のリクエストにも上がってくるようになり、急きょシングルカットしたのです。


 当時、僕もチェリッシュも「えっ!?」と目が点になりました。僕はシングル用に作っていないし、彼らもアーティスティックに売りたい時に「あなたと私が夢の国~」でしょ(笑い)。でも結果的に大ヒット。その年の紅白歌合戦に初出場も果たしました。


 いまだにどうして売れたのか分かりませんが、当時のリスナーの耳に残ったのは確か。ヒット曲はユーザーが決めるという典型的な例ですね。


(音楽プロデューサー・髙橋隆)

提供元:Yahooニュース
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