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立川談志のラブロマンス【しあわせの基準 ー私のパパは立川談志ー 第十八回】(週プレNEWS)

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天才、奇才、破天荒......そんな言葉だけで言い表すことのできない、まさに唯一無二の落語家・立川談志。2011年11月、喉頭がんでこの世を去った。高座にはじまりテレビに書籍、政治まで、あらゆる分野で才能を見せてきたが、家庭では父としてどんな一面があったのか? 娘・松岡ゆみこが、いままで語られることのなかった「父としての立川談志」の知られざるエピソードを書き下ろす。
若かりし頃奥様と出会い、大恋愛の末に結婚をされた談志師匠。今回は、奥様が師匠に送ったラブレターを、こっそり公開します。
* * *
流石に私も書く前から照れてしまうのだが、両親の若かりし時代のラブロマンスを書いてみよう。もちろん、私はこの出会いがなければいなかった。
本人の話によると、母・則子はとても可愛くて、通っていた浦和市立高校の校長先生が母の就職を心配してくれて、色々就職試験を受けたが、数学が出来なかったせいかことごとく落ちてしまったらしい。
同じ高校に通うお友達の親戚の方の紹介で、昭和30年代前半、高校を卒業して第一生命ホールに就職できた。いわゆるコネ入社だったのだろう。第一生命の本館部分は今も千代田区有楽町にあって、マッカーサーが連合国軍総司令部(GHQ)庁舎に使った立派なビルで、トイレも大理石だそうだ。
当時の第一生命ホールは6階にあり、クラシックコンサート、お芝居、落語会などのいろんなライブが行われていた。母はそこで案内係になった。可愛い制服と、それを着た母も可愛いかったらしい。
600席ほどあるホールに朝早く行き掃除をしたりして、点数稼ぎをした訳ではないらしいが、しばらくすると案内係から受付係に昇格した。出演者はみんな受付の前を通って楽屋に入る。湯浅喜久治さんがプロデュースしていた若手落語会によく出ていた父も、その受付で母と出会った。
当時の父は20才くらいで、二ツ目の柳家小ゑんだった。若手落語会のパンフレットの父の似顔絵を漫画家の清水崑さんが描いてくださったり、評論家の安藤鶴夫さんに「蜘蛛籠」を褒めていただき奇才天才などと言われて、チョー天狗になっていた頃でキザな若造だったみたいだ。
父にはもう事情聴取ができないので母の記憶をたよりに回想すると、父がまずお茶に誘って喫茶店で待ち合わせをした。そして、その時から2人の大恋愛は始まった。2人はしょっちゅうデートをし、毎日電話でおしゃべりもして、さらに、いつ書く暇があったんただろう?と思える程の量のラブレターを書いていた。母の了解を得て、ノンフィクションで書かせて戴く。切手の消印は昭和34年。
* * *
今日はお電話でゆううつなことをお話ししてごめんなさいね。でももういいの、貴方のお手紙が私を救ってくれるたった一つのものでした。お手紙ありがとう。うれしかったわ。どんなに私をほめて下さっても、うぬぼれたりいたしません。ただ、うれしいだけなの。
今テレビでオールスター戦をしています。みんな一生懸命観ています。 私、とっても身体の調子が悪いの、暑さのせいなの、お風呂へはいって、もうおふとんの上に横になっているのよ。こうしているのが一番好き。
涼しい風が思い出した様に入って来ます。貴方の気持ちにくらべたら、私のゆううつなんか問題にならないのよ。何も心配することがないので、つい余計なことを考えるからなのね。
貴方には反省と努力があるわね。とってもうらやましい。私なんか反省はしても努力はしていないみたいなの。自信のある人、それが自他ともに認められるもならば、何にもなくてもどんなに素晴らしい人にみえるでしょう。
提供元:Yahooニュース

