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鮎川誠さんは「ロックは譜面に縛られないのが醍醐味」と言った【ロフト創業者が見たライブハウス50年】(日刊ゲンダイDIGITAL)

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【ロフト創業者が見たライブハウス50年】#57
1973年結成の「センチメンタル・シティ・ロマンス」のリードボーカル中野督夫さんが7月27日に亡くなった。センチは、竹内まりやさんらのライブやレコーディングでも活躍。ロフトとの関係は73年にスタートした。「西荻窪ロフト」のオープニング10日間ライブの初日・7月11日にステージに立ってくれた。享年67。ご冥福をお祈りします。今回は「シーナ&ロケッツ」のリーダー鮎川誠さんインタビュー第2弾。73歳の現役ロッカーに「東京進出のキッカケ」などを聞いた。
満員の観客に向かって数匹を…新宿ロフトには白蛇が棲息しているに違いない
◇ ◇ ◇
平野 どんなミュージシャンから影響を受けましたか?
「小学校からロックを聴きよった。リトル・リチャード、レイ・チャールズ、エルビス……まだロックという言葉も知らんやったけど。それからビートルズを知り、ローリング・ストーンズ、キンクス、アニマルズ、WHOなどバンバン出てきてエレキギターが欲しくなり、中学の修学旅行の積立金を狙いました」
平野 あの当時、エレキギターを買えるのは本当に金持ちの家の息子くらいでした。
「先生に『修学旅行は面白くない。行かんけ、お金、返して』ちゅうてから3万円ぐらい戻ってきて、友達からエレキを4500円で買うた」
平野 地元の進学校から国立の九州大に入学。でもロッカーに学歴と譜面は必要ないのでは。
「九大に入れば、ロックが自由にできるっちゅうて猛勉強しました。譜面は今も読まん。ロックは日々成長していくもの。譜面に<残す>ことはあっても、譜面に<縛られる>ことはない。それがロックの醍醐味です」
平野 伝説のバンド「サンハウス」が解散した78年春に東京に。すぐにシーナさんも上京。8月、西荻窪で鮎川さんとシーナさんが初めて一緒にロフトのステージに立ちました。
「サンハウスを解散して30歳にもなろうとしよったし、シーナと結婚して双子の子供もおった。居候先のシーナの親父に言われました。『福岡でテングになっていてもつまらん。ウチの娘も幸せにはならんばい。福岡には仲間もおるし、少しはファンも付いとる。東京で勝負してきなさい』と尻を引っ叩かれました」
平野 79年12月リリースの「ユー・メイ・ドリーム」が大ヒット。
「サンハウス時代にユキヒロさん(元YMOの高橋幸宏)のいたサディスティック・ミカ・バンドと何回かライブをしとった。ユキヒロさんが細野(晴臣=元YMO)さんを紹介してくれ、YMOのアルバムのレコーディングやライブに起用してくれた。その細野さんが『ユー――』に関わってくれたのです」(この項つづく)
(平野悠/「ロフト」創業者)
提供元:Yahooニュース

