-
夜遊び夜遊び
-
お水お水
-
ホストホスト
-
風俗風俗
-
ビューティビューティ
-
ファッションファッション
-
悩み相談悩み相談
-
モデルモデル
-
芸能芸能
-
雑談雑談
-
食べ物・グルメグルメ
-
生活生活
-
恋恋
-
インターネット・ゲームネット・ゲーム
-
ギャンブルギャンブル
-
過去ログ倉庫過去ログ倉庫
-
運営運営
菊池武夫79歳、ファッションの世界に入るきっかけとなった“出会い”とは?(TOKYO FM+)

放送作家の高須光聖が、世の中をもっと面白くするためにゲストと空想し勝手に企画を提案していくTOKYO FMの番組「空想メディア」。12月9日(日)は、世界的有名ブランド「BIGI」、「TAKEO KIKUCHI」の創立者である菊池武夫さんをゲストに迎え、ファッションデザイナーになるまでの貴重なエピソードを語ってもらいました。
【写真を見る】パーソナリティの高須光聖
高須:菊地さん、ファッション業界に入られて何年くらいですか?
菊池:23歳からだから……。
高須:56年!
菊池:最初のうちはオーソドックスでしたよ。オーダー(メイド)で、人の注文で服を作るほうばっかり。でも、それじゃあ自分の思うことができないと思って、1970年にBIGIという会社を設立したんです。
高須:いや~、BIGIですよ。BIGIのスタジャン持ってました僕! 買いました~、着倒しました。もともとファッションは子どもの頃から?
菊池:あまり関心はなかったけど、今思うと……僕いま79歳なんですけど、第二次世界大戦が終わってすぐ、うちの離れにアメリカ軍の将校夫妻が1年ちょっとくらい住んでいて、帰国するときに持ってたものを置いていったんです。軍の放出品がいくらでも手に入ったので、ジーパンやスタジャンを子どもの頃から自然に着ていたこともあって、洋服に対する反応は、普通の人とちょっと違いました。
高須:自分でファッションデザイナーになろうと決めたキッカケはありました?
菊池:後で思うと、僕はお茶の水にあった文化学院の美術科だったんですけど、その時代ジャズが好きで、カッコいい黒人に憧れて、洋服を作りに銀座に行ってたんです。そんなときに、カメラマンの立木(義浩)さんと会ってジャズの話をしてたら、「おまえモデルになれよ」と言われたんですね。「週刊平凡」のファッションページの。当時のいい洋服を着せられてね。そういうファッションの世界に一度触れると……。
高須:憧れちゃいますよね。
菊池:子どもの頃も、日本のファッション雑誌はなぜもっとカッコ良くできないのかなと思っていた。美術科を卒業したとき、このまま就職はできないなと思って、ファッションの学校に入り直したんです。やりだしたら取り憑かれましたね。
高須:当時、ファッションデザイナーになりたい人の需要ってどうだったんですか?
菊池:そんなに多くはないと思いますけど、コシノジュンコさんはほぼ同い年で、10代の終わり頃にはもう有名になっていた。でも僕は考え方がちょっと違っていて、(女性の服を)デザインをするよりも、自分が身につけるのに必要なものが作りたかった。ストリート感覚っていうんですか? でも当時はそんなこと考えてる人は誰もいなかったから……。
高須:ライフスタイルを変える感覚はなかったですよね。
菊池:僕はそれが合わなかった。いちおう就職はしたけど、ついていけなかったです。最初、学生のときに僕のショーの写真が「ジャパンタイムズ」のファッションページに載ったんですよ。それを見た有名な女性のデザイナーの先生が、卒業したらすぐうちに来いと言ってくれたんです。その人は映画の衣装をずっとやっていたので、(会社に入った)初日に東宝に行かされて、佐久間良子さんの服をデザインしたんです。
高須:大抜擢ですね。大女優さんに服を提供するのは喜びじゃなかったですか?
菊池:いや、そうじゃなかったね。ストレスだったので、そこは映画1本やって辞めました。それからもう1軒、同じような銀座のオーダーメイドの店で半年働いたんですが、あまりにも、自分が考えている世界と違うギャップを感じてそこも辞めて。ただ、当時は僕、すぐに同級生と結婚しちゃったんですよ。だから働かなきゃ食べていけない。そこで、僕と同じく美術から洋服の道にいった妻と話をして、23歳で自分たちでアトリエを作ったんです。9年間続けました。
高須:へぇ~! どんなお客さんがいたんですか?
菊池:知り合いが紹介してくれた、有名な奥様とかスチュワーデスさんの洋服をオーダーで作っていました。あと、昔は今ほど洋服を売っている店がなかったから、雑誌社と一緒に洋服を作ったんです。その延長で広告の世界……資生堂とかカネボウとか生地会社とか、そういうところと仕事できるようになりましたね。
高須:それで9年間。すごいですね。
菊池:そのままでも良かったんですけど、全部依頼されたものしか作ってないから、それがつらい(笑)。注文に応えるのは、大変なんですよ。それをやったおかげで、技術はかなり身につきましたけどね。いちおうアートの世界から入ったので、自由度の高いアートを交ぜながら洋服を考えていたので、なんとか皆さんに支えてもらえて。その経験が、31歳で立ち上げたBIGIに繋がっていくんです。
(TOKYO FM「空想メディア」2018年12月9日(日)放送より)
提供元:Yahooニュース