-
夜遊び夜遊び
-
お水お水
-
ホストホスト
-
風俗風俗
-
ビューティビューティ
-
ファッションファッション
-
悩み相談悩み相談
-
モデルモデル
-
芸能芸能
-
雑談雑談
-
食べ物・グルメグルメ
-
生活生活
-
恋恋
-
インターネット・ゲームネット・ゲーム
-
ギャンブルギャンブル
-
過去ログ倉庫過去ログ倉庫
-
運営運営
宮本輝さん、「流転の海」37年で完結 庶民の「生老病死」が放つ光(産経新聞)

執筆開始から37年、400字詰め原稿用紙換算で約7千枚-。作家の宮本輝さん(71)が、自らの父をモデルにした実業家とその家族の波乱に満ちた歩みを描く自伝的小説「流転の海」シリーズがついに完結した。第9部『野の春』(新潮社)を最終巻とする大長編。苛烈な宿命にときに抗(あらが)い、翻弄されつつも、激動の戦後を懸命に生きた無名の生活者たちの鼓動が大河の流れのように押し寄せる。(海老沢類)
【写真で見る】「流転の海」シリーズ
◆「肩の荷がおりた」
「達成感よりも肩の荷がおりた、というのかな。未完の大作、なんて何の値打ちもないですからね」。連載を完結させ、宮本さんは安堵(あんど)の表情を浮かべる。
シリーズの執筆を始めたのは昭和56年、34歳のときだった。すでに「螢川(ほたるがわ)」で芥川賞を受賞。その後の結核での療養生活にも出口が見え始めたころ、訪ねてきた編集者に「宮本輝の『父と子』を書かないか」と熱心に口説かれた。「父には愛憎こもごもで、自分には書けないと思った。でも編集者はしつこいからね。体力も回復したし『じゃあ受けよう』と。当初の予定は3部作。37年かかるなんて誰も思わなかった」
◆1200人の物語
先の大戦終結から2年後の22年、宮本さんの父をモデルにした主人公・松坂熊吾(くまご)が大阪駅に降り立つ場面から物語は始まる。築いた資産の多くを戦中に失い、闇市のバラックが並ぶ街で再起を期す熊吾はやがて結婚。50歳にして初めての子を授かり、その息子・伸仁(のぶひと)を前に「この子が20歳になるまでは絶対に死なん」と誓う。
雀荘(じゃんそう)、中華料理店、中古車販売…。新事業を興しては浮き沈みを重ねる熊吾とともに、舞台も愛媛の南宇和、大阪・中之島、厳寒の富山、兵庫・尼崎のビルなどへ移っていく。東京五輪をはじめとする高度成長期の空気も絡め、伸仁が成人する43年までの約20年がつづられる。
「戦後の父はもう商売に成功した財界人ではない。周囲の人も、父と同じく学歴はないけれど手に職を持ち、汗水流して働き、子供を育てた。あの現実の巷(ちまた)を生きた一人一人に『お疲れさまでした』と言いたい気持ちがあったんです」
父子の関係や男女の情事、暴力や裏切り、そして実際に起きた母の自殺未遂も描いた。一方で登場人物は増え続け、最終的に1200人超に。物語は、その無名の人々が織りなす「壮大な生老(しょうろう)病死の劇」と化し、貧困や病、時代の波といった「宿命」と闘い、敗れた数多の死が紡がれていく。〈何がどうなろうと、たいしたことはありゃあせん〉-。でも熊吾のそんなおおらかな言葉と響きあうように、適度な距離をとって記された生の軌跡は心に染み、光を放ち続ける。
「太平洋の真ん中に万年筆のインクを一滴落としたとしますよね。インクはすぐに広がって一面もとの海の色になる。じゃあインクは消滅したのか?といえば違う。海全体に溶けこんだんです。そうやって人間も宇宙に溶けこんでいく。これがね、僕には一番腑(ふ)に落ちる死の有様(ありさま)なんですよ」
◆作家の脂乗る70代
連載を終えたとき、父が亡くなったのと同じ71歳になっていた。「偶然です。そんなうまいこと合わせられません」と話しつつ、「豪放磊落(ごうほうらいらく)で混沌(こんとん)たる男。でも勉強家で非常に思弁的でもあった」と父に思いをはせる。そんな父=熊吾が溺愛してきた息子を突き放す場面が第9部にある。〈お前にはなんにもなかった。秀でたものなんか、どこを探してもない男じゃった〉と。全体を貫く「父と子」というテーマを凝縮した一言かもしれない。
「実際あのまんま言われて、打ちのめされましたよ。考えたら(全9部で)父をダシにして己を語ったのかな。『俺、何かには秀でてたやろ?』って」。そう、この大長編は作家・宮本輝誕生の物語でもあった。「これから作家としての第2期に入りたい。70代はね、作家が一番脂の乗るときだと思うんですよ」
【プロフィル】宮本輝
みやもと・てる 昭和22年、神戸市生まれ。追手門学院大文学部卒。広告代理店勤務などを経て、52年に「泥の河」で太宰治賞を受けてデビュー。53年に「螢川」で芥川賞。著書に『優駿』(吉川英治文学賞)『約束の冬』(芸術選奨文部科学大臣賞)『骸骨ビルの庭』(司馬遼太郎賞)など。平成22年、紫綬褒章。
提供元:Yahooニュース