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テレビ脚本デビューで視聴率50%!「やりくりアパート」 生誕90年・花登筺どてらい世界(夕刊フジ)

【生誕90年・花登筺どてらい世界 ペリー荻野】
今年、生誕90年を迎えた作家で脚本家の花登筺。その名を聞いただけで、昭和の喜劇やど根性ドラマの名作を思い出す読者も多いはず。“ゆとり”や“働き方改革”など思いもしなかったあの時代。それでも今より夢があった。熱き花登ドラマを振り返る。
花登は1928(昭和3)年、大津市に生まれた。地元で劇団活動をし同志社大学卒業後、大阪の綿糸問屋に就職するも結核で療養生活を送る。
その後、書いた脚本をラジオ局に持ち込み、放送作家を始めた。当時は日本にテレビが急速に普及し始めたころ。花登はテレビ、舞台、著作と活動の幅を広げ、超売れっ子作家に。83年に55歳で亡くなるまでに書いた舞台脚本は500本、テレビ脚本は実に6000本!
私はしばしば当時を知る出演者に取材するが、必ず出てくるのが、そのモーレツな仕事ぶり。新幹線の中でも執筆することから「新幹線作家」と呼ばれたことは知られるが、全盛期には常にテレビ局の担当者が張り付き、飲み屋やステーキ屋のカウンターでの執筆は当たり前。ゴルフの最中にも書いていたとも。
ドラマの脚本もギリギリだが、舞台の脚本はさらにギリギリ。完成が開幕前日で、その後も「ちゃう、ちゃう」と本人から直しが入り、最後は役者に直接電話して「口だて」でセリフをたたき込んだというから恐れ入る。仕事ぶりにも驚くが、そんな状況に平然と対応した常連役者の肝のすわり方も驚きだ。
本格的なテレビ脚本デビューは、58年の「やりくりアパート」。大阪下町の安アパート「なにわ荘」を舞台に住人のコンちゃん(大村崑)、ささやん(佐々十郎)、女形のタコさん(茶川一郎)と管理人、たまり場の茶房に集まる面々(芦屋雁之助、芦屋小雁ら)が巻き起こす騒動を描くコメディー。演出は後に「てなもんや三度笠」を世に出す澤田隆治らだ。
ある回では、凶悪逃亡犯に顔が似ているといわれたささやんが、コンちゃんとやくざ風の扮装で仲間をビビらせようと計画。いつもの店に乗り込むが、計画を小耳にはさんだ仲間たちはわざとおびえた演技をして笑い転げるが…という展開。
出演者たちは人気者となり、視聴率も50%を記録、映画化もされた。上方コメディーを大ヒット作にした花登は、モーレツ作家の道をひた走ることになったのだ。 (ペリー荻野)
■花登筺(はなと・こばこ) 小説家、脚本家。1928年3月12日~83年10月3日。54年、東宝と契約。58年に「やりくりアパート」で脚本家デビュー。59年に東宝との関係が悪化し独立。松竹の支援で「劇団・笑いの王国」を設立するが64年に解散。
75年、由美あずさとの離婚成立後、星由里子と再婚。83年10月3日、肺がんのため死去した。
代表作は「番頭はんと丁稚どん」「どてらい男」「細うで繁盛記」など多数。
提供元:Yahooニュース