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グラビア特集で一目惚れした麗子さんとは30年来の付き合いに【紀州のドン・ファンと元妻 最期の5カ月の真実】(日刊ゲンダイDIGITAL)

【紀州のドン・ファンと元妻 最期の5カ月の真実】#15

 自叙伝を書くにあたって私は、野崎幸助さんのことを知っている何人かを紹介してもらうことにした。その中のひとりが、バブルの時代に中国の浙江大学から東京大学大学院に留学して、心理学を勉強していた麗子さんだった。

紀州のドン・ファンと田辺市長の不思議な密接関係

 週刊現代のグラビア特集「海外で活躍している女性たち」で取り上げられた女性で、その記事を見たドン・ファンが編集部から連絡先を聞き出して会うようになったという。

 時は流れて2016年に「ドン・ファン」という名前を付けて野崎さんを取り上げたのも週刊現代だった。よほどドン・ファンは週刊現代とつながっていたような気がする。

■30年来の付き合い

 麗子さんはドン・ファンと30年以上の付き合いなので、前妻のCさんとも仲が良かった。20年ほど前、ドン・ファンは東京の新橋で貸金のティッシュ配りをしていた際、車にひかれたことがあった。交差点を左折してきたタクシーに巻き込まれ、車体の下敷きになったのだが、この時は麗子さんも一緒にティッシュ配りを手伝っていたというから浅からぬ間柄だ。ドン・ファンは歩くのが速いが、前につんのめるような危なっかしい歩き方をしていた。これは事故の後遺症が足に残ったためである。

 それ以降、ドン・ファンは、数十億円の資産家であっても、飛行機や新幹線に乗る時には身体障害者手帳を出して割引を受けていた。無駄金を使わない主義なのだ。

「私が日本に来た頃は、まだほとんど中国人はいませんでした」

 麗子さんが来日のきっかけを話し始めた。

「中国人の外国旅行は制限されていて、夢のまた夢の時代だったんです。文化大革命をなんとか逃げ延びた私の両親は医者でした。教育に力を入れてくれて、勉強をしたいなら日本に行ってもいいよ、と協力してくれたんです。アメリカにいとこもいて、支援してくれました。そうでなかったら日本に来ることなんて絶対にできませんでした。日本人の奥ゆかしく謙虚な気持ちに触れて、すっかり日本が好きになり帰化したんです。麗子という名前も私が付けました。もちろん中国も好きですけれど、マナーの悪さには眉をひそめてしまいます」

 ドン・ファンとは男女の付き合いはなかったと言う。

「私の背は170センチ弱で高いですけれど、社長の好みはグラマラス。スレンダーな体形の私は、最初に会った時から口説きたくないタイプと認識したのだと思います。それでも何度も『結婚しましょうか』と言われました。彼にとってこれは挨拶のようなものだし、私もお金のために結婚するなんて頭の片隅にもなかったので、相手にしていませんでした」

 現在も独身の彼女は都内で暮らし、中国関連ビジネスのコーディネーターとして世界中を飛び回っている。東京で会うことも、なかなかできないほどだった。

 彼女や身の回りの世話をしていた大下さん(仮名)、さらには昔の従業員を訪ねて話を聞き、なんとか前半部分を2カ月ほどかけて書き上げ、コピーをアプリコに郵送した。ドン・ファンに原稿をチェックしてもらう手はずになっていたからだが、彼からの連絡はなかった。もしかして原稿が気に入らないのかな? やきもきして1週間ほど待ったが、何の反応もなかった。(つづく)

(吉田隆/記者、ジャーナリスト)

提供元:Yahooニュース
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