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ドル箱女優と隠密結婚も…寺尾聰はインタビューで「そうね、話すことないね」 裕次郎番記者だけが知るワンパク半生(夕刊フジ)

【裕次郎番記者だけが知る 寺尾聰ワンパク半生】
秋の叙勲で旭日小綬章を受章した俳優の寺尾聰(71)。今は父の宇野重吉氏に迫るほどの名優だが、若いころは手もつけられないヤンチャだった。石原裕次郎の番記者だった筆者がその“ワンパク時代”をつづる。
◇
日本テレビ「2町目3番地」で共演した寺尾聰と范文雀は1973年、東京都品川区の教会で挙式した。当時スポーツ紙の記者だった私は教会の正面玄関で待機した。式を終えた2人が屋外に出てきた。タキシード姿の新郎は身長176センチの長身、モデルのようなスタイルの范のウエディングドレスはまぶしかった。寺尾26歳、范25歳だった。
ホリプロの若手が渡辺プロのドル箱をさらった…。こんな挙式だったので参列者に業界人の姿は少なく、祝ったのはほとんどが友人連中。寺尾は挙式日も場所も発表しなかったため、私も情報を得るのに苦労した。取材にきたのは確か女性週刊誌1~2社と、スポーツ紙では私だけだった。
インタビューでは「私はこれから専業主婦になります。今後は寺尾をよろしくお願いします」と謙虚な范に対し、寺尾は「そうね、あんまり話すことはないね」とそっけなかった。私は思わず「家庭に入るのは稼げる新婦ではなくて、新郎じゃないの?」との言葉を飲み込んだ。これが寺尾の第一印象だった。
范との結婚生活は約1年半と短かったが、これを機に寺尾に仕事運がつき、次々と朗報が舞い込む。徳川家康を演じた「国盗り物語」をきっかけにNHK大河ドラマの常連となり、76年には日本テレビ「大都会」で新聞記者役、そして79年からは石原プロ制作のテレビ朝日「西部警察」で刑事役に挑んだ。寺尾は石原軍団に入ったのだ。
寺尾は当初、父親の宇野重吉が創設した劇団民藝入りを希望したが、宇野は「研修生でも世間は親の七光りと見るだろう」と息子を石原裕次郎に預けたのだ。
裕次郎と宇野の関係は深い。日活が五社協定で締め出されて出演俳優にも事欠いたころ、宇野は民藝の劇団員を優先的に日活に提供した。以来、2人の親交は続き、宝酒造の松竹梅のCMでも共演。「裕次郎」「和尚」の謎掛け問答は有名だ。
ある日、私は映画記者出身のW部長と「西部警察」のオープンセットがあった東京・調布の日活撮影所に入った。石原軍団の正月の餅つき大会だったと思う。寺尾と初対面のW氏が「はじめまして、よろしく」とあいさつし、名刺を渡すと、寺尾は「こんなもの、いらない」と名刺を破り捨てたのだ。
理由は後で分かった。私のいたスポーツ紙で取り上げた再婚問題の記事で面白くないことがあったようなのだ。 =つづく(フリーライター・中野信行)
■寺尾聰(てらお・あきら) 俳優、歌手。1947年5月18日生まれ、神奈川県出身。俳優の宇野重吉の長男。66にグループサウンド「ザ・サベージ」でデビューし、ベースを担当。68年には石原裕次郎主演の映画「黒部の太陽」で俳優デビュー。81年には「ルビーの指環」が大ヒットした。
2000年の映画「雨あがる」、03年の「半落ち」に主演して好評を得る。17年のTBS「陸王」などに出演。今月、旭日小綬章を受章。夫人は元人気モデル兼女優の星野真弓。
提供元:Yahooニュース