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「本当はお嫁さんのプロになりたかった」銀座のマダムが店を閉めて“花嫁修業”【芸能界と格闘技界 その深淵】(日刊ゲンダイDIGITAL)

【芸能界と格闘技界 その深淵】#23

 本連載において「山口洋子は強い男に引かれる気質だった」と書いた。野口修もそれに該当する論拠としてである。

山口洋子にも「実家の姑さんに可愛がられる嫁にならないといけない」という呪縛が

 4年前に他界した作曲家の平尾昌晃は、洋子を公私ともによく知る盟友とも言うべき存在である。筆者の問いに対し生前、彼は次のような話を聞かせてくれた。

「洋子ちゃんの好みって、お子さまランチみたいな甘いマスクじゃないの。“ジャニーズ系”みたいなのに、彼女はまったく関心を持たない。洋子ちゃんって苦み走った渋い男前がタイプなんだよね。よくよく思うと、安藤さんも権藤さんも野口さんもそういう感じでしょう」

 2年間、店を閉めている間、洋子はまるで妻のような献身ぶりだった。権藤の食事を作ることもあれば、慣れないミシンを踏んで木綿のパジャマの右肩に分厚いタオルを縫うこともあった。「投手は肩が命。肩を冷やすのは大敵」と周りから繰り返し注意されたからで、頑迷な言いつけをけなげに守る姿に、不良少女だった過去も、年齢をごまかしてキャバレーで働いた過去も、端役とはいえ東映女優として脚光を浴びた過去も、やくざの愛人として逃走を手伝った過去も、すべてが嘘のようだった。それほどまでに“嫁の務め”をはたそうと考え、そこまでして、権藤の妻になりたかったのだ。自身の半生を顧みて「ちょっと走りすぎた」と思ったのもあったかもしれない。

 事実、そのことを示す後年のインタビュー記事が残っている。作詞から小説に軸足を移して、直木賞の最終選考に2度残りながら、2度とも選から漏れた1984年。「来年こそ直木賞を取る」と公言していた時期のコメントである。

「いまの私の状態にあこがれたり、それをすてきだ、幸せだと思う人がいるならば、女にとっていちばんナチュラルですばらしい結婚、家庭という夢を私が捨てたからだということも知っていてほしいですね。本当は私、お嫁さんのプロになりたかったのよ。(中略)今度は男に生まれたいわね。私は女である便利さよりも不便さが、喜びよりも哀しさが多かったから……。(中略)でも、また女に生まれたら、生涯たったひとりの男性の体に生まれて、専業主婦になりたいワ」(「週刊平凡」1984年8月24日号)

■「女を働かせるような男は好きじゃない」

 また、こうも言っている。

「私はね、やっぱり基本的に女を働かせるような男は好きじゃないんです。(中略)これは、私の夢なんですけど、もし、生まれ変わることができたらね。絶対、一人の男と知り合って、その男に恋をして、その男に女にされて、その男と結婚して、その男にみとられて死にたい。女って、ほんとうに好きな男に、深く愛されて、一人の男ですむっていうのが、一番の幸せだと思う」(「主婦と生活」1985年10月特大号)

 これらの証言から、2年間も店を閉じたのが、酔狂や思いつきによるものでなかったのは判然とする。2年間とは過ぎてみればあっという間だが、思いのほか長いものだからだ。一般的な「花嫁修業」が何年になるか、もちろん個人差があるとは思うが、山口洋子の場合、「姫」を休業していた2年間がその“花嫁修業期間”に該当するとみていい。

 そこまでして結婚生活を夢見た洋子だったが、権藤との関係に秋風が吹き始めるのである。

(細田昌志/ノンフィクション作家)

提供元:Yahooニュース
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